新たな道を開拓する3×3落合知也 「ロッドマンのように…」に込めた覚悟
新種目「3×3」を引っ張ってきた落合。東京五輪では、競技の認知を拡大させるため、「メダルを取らないと意味がない」と意気込む 【写真提供:株式会社レプロエンタテインメント】
また、3人制での活躍をきっかけに、5人制でもプレーし、栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)で初代Bリーグ優勝も経験している。もともと、5人制で日本代表候補も経験している落合は、なぜ大学卒業後に3×3に主軸を置き、この種目の未来をどう変えようとしているのか。五輪開幕を間近に控えた7月10日、オンラインで話を聞いた。
金メダルが目標「不可能ではない」
メダルを取らないと意味がないと思っています。5月にクロアチアで行われたFIBA(国際バスケットボール連盟)主催のプロサーキットに日本代表メンバーで参加をして、セルビアの強豪クラブを倒してベスト4に入りましたし、自信になっています。不可能な目標だとは思っていません。やるからには金メダルが目標です。
――落合選手が大学を卒業したのは、2010年。その後、3人制を始めたということですが、当時はまだ東京五輪の開催も、3人制の五輪採用も決まっていませんでした。今のような姿は想像していましたか?
学生の頃は「3人制のストリートバスケなんて、部活を途中で辞めたチャラチャラした人がやっているものだろう」と思っていましたが、やってみて、3人制もバスケットに対してすごく情熱を持っている選手が多いことを知りました。今は、この競技の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたいという立場になっています。こんなことになるなんて、学生の時は思ってもみませんでした。僕の人生を変えてくれた競技なので、なおさら、この競技が誰かの飛躍のきっかけや活力になればいいなという思いは強いです。
僕は、3人制をやるうちにバスケ熱が再燃して、5人制のチームにも声をかけてもらって、両方をやることになりました。栃木ブレックスでBリーグ優勝を経験して、今、3人制で日の丸を背負って東京五輪に出場することが、いまだに信じられません。本当にチャンスやきっかけは、どこに転がっているか分からないなと、あらためて思います。
――そもそも、なぜ、大学卒業後に3人制へ転向したのですか?
大学まで5人制の第一線(土浦日大高→法政大)でやってきて、プロや実業団からオファーもいただきました。でも、当時はBリーグもなく、今のようには国内のバスケットが盛り上がっていませんでした。それでも敷かれたレールを中・高・大と進んで来ましたが「これでいいのかな、本当にバスケ好きかな?」という感覚に陥って、バスケ熱が冷めてしまいました。大学卒業後は、バスケ以外のことをやってみたい気持ちもあって、姉がやっていたモデル業とか芸能の道に挑戦しました。そのときに、知人の先輩から「完全にバスケを辞めてしまうのはもったいない。遊びでいいからストリートバスケをやらないか」と誘われたのが、きっかけです。