酒井宏樹「浦和は日本のOMのようなクラブ」 フランスを離れ、日本復帰を決断した理由

木村かや子

「違う階だった」と感じた、欧州の頂上

EL決勝でアトレティコに0-3で敗戦。出場機会には恵まれなかったが「点差以上のものを感じた」という 【写真:ムツ・カワモリ/アフロ】

――この5年間に何を学びましたか?

 ひとことで表現するのは難しいですが、サッカー選手としても人間としても、本当に多くのことを学んだと思います。ドイツの時もですが、特にこのフランスに来てからは、1日も無駄にすることなく、真剣に取り組みました。苦しいこともたくさんあったけれど、それはすべて、自分のキャリア、人生の財産だと思います。すごく多くのものをこのクラブでいただき、僕もすべてをこのクラブに捧げてきました。そしてその冒険にピリオドを打つには、今回がベストのタイミングだったのかな、と思っています。

――マルセイユ時代で最も心に残る試合は?

 誕生日にゴールを決めたあのヨーロッパリーグ(EL)準々決勝(対ライプツィヒ)は、みんなの記憶にも残っているようで、いろんな人に言ってもらえるし、それは僕にとっても特別な試合です。

 でももう1つ、ネガティブなところが一気にポジティブになった転機の試合があるんですよ。それが、1年目第2節のギャンガン戦でした(※)。今思えば、あれは自分にとって本当に素晴らしい試合でしたね。あの試合のおかげで、自分はこの5年間プレーすることができたと思います。あの試合がなくて、下手に勝っていたら、2、3年で消えていたかもしれません。

(※編注:酒井は名も知らなかった選手たちのスピードにてんてこ舞いさせられた上、失点の責任を問われ、これでやっていけるのかと批判を受けた試合)

――あそこで思い知らされて、逆に目覚めたと?

 はい、あの後から本当に、フランスの選手やフランスのサッカーを学ばないといけないと思い、必死に取り組みました。サッカーに関しては、本当に負けず嫌いなので。あそこは、自分にとってはすごく大事な転機でしたね。

――マルセイユ時代で最も心に残る思い出は?

(17-18シーズンの)EL決勝も、自分にとって最も心に焼き付いた思い出です。アトレティコ・マドリーに対する0-3の敗戦(※)。あの時に点差以上のものを感じました。これがビッグクラブとメガクラブの差なんだなって、実感できた試合でした。それまでは気付いていませんでしたけれど、あの場にいたことによって実感し、「これ以上、上は」は、と思ったのも俺にとってはすごく大事な経験でした。

(※編注:酒井は故障からの回復をなんとか間に合わせてベンチには戻れたが、出場機会はなかった)

――「これ以上、上は」とは?

 いや単純に、これより上はもう目指せないな、と思いました。しかもその感覚が、ぜんぜんネガティブな感覚ではなく、これを感じる……気付けるところまで自分は来られたんだな、というふうに思ったんです。

――CL優勝するようなところは一段、格が違うと身をもって感じたと?

 そうです。僕は、もう1、2mジャンプすれば届くかなと思っていたんですけれど、違う階でした。もう全然、間に天井がありましたね。

――一番学んだ監督はガルシアでしょうか?

 そうですね。でもサンパオリ監督からも、この短い時間にすごく多くを学びました。すごく信頼してくれましたし、僕も学ぼうとしたので、かなり多くのものを吸収できたと思います。3バックの一角という、違ったポジションに挑戦するというのはすごくエネルギーを使うので、日々疲れましたけれど、でも絶対に、これからのキャリアで大事になってくると思うので、すごく感謝しています。

浦和での新たな挑戦は「楽しみでしかない」

OAでの五輪代表選出を「すごく誇らしいこと」という酒井。「心して臨まければ」と決意を語る 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

――浦和で新たな道が始まります。ひとつのことが終わると多少、寂しい気持ちはあると思いますが。

 もちろんそうですね。自分にとって大好きなクラブなので、まあ……ひとつやり遂げた感はもちろんありますけれど、ただこれで終わってしまうと、サッカー選手としておしまいなので、まだまだ自分にとってハードルが高いところで挑戦したいと思いました。

――柏じゃないのか、と皆言っていましたね。

 そう、すごくいい反応をもらっていて、あまのじゃくな自分にとっては、すごくやりがいがあります。人と逆のことをするのが好きなので。僕はサッカーに関しては、すごく頑固なんです。

 まだまだ、これからやりたい。だから柏に行かなかったんです。自分の中で、柏は心地よいわが家のような、そこで引退するという最後のクラブ。でもまだまだプレッシャーがある環境で挑戦したいと思った。浦和はいい意味で、日本のマルセイユみたいなところなんです。

――新たな挑戦に向けて。

 楽しみでしかないです。日本で何ができるか、自分自身楽しみですし、また楽しみに思ってくれている方々もすごく多いと思うので、その期待に応えるというのはすごくハードな挑戦だと思っています。本当に一からやっていかないといけないですし、もちろん誰よりもハングリーでないといけない。今まで以上に、強い覚悟と責任感を持って、やっていきたいと思います。僕はこの選択は正しいと信じているし、それを正解にさせるのは、本当に自分自身。だから全力で頑張ります。

――今回、オーバーエイジ(OA)で東京五輪に出場します。

 五輪代表に選ばれるというのはすごく誇らしいですし、光栄なことです。OAなど全く考えていませんでしたが、呼ばれたからにはチームの力になれるように、精いっぱい頑張りたいと思います。一応言っておくと、僕は五輪に行きたいから日本に移籍したのではないですけれど、今回は偶然が偶然を呼びました。とにかく責任重大な任務になるので、心して臨まなければと思っています。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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