酒井宏樹「浦和は日本のOMのようなクラブ」 フランスを離れ、日本復帰を決断した理由

木村かや子

酒井宏樹が5年間を過ごしたマルセイユを離れ、日本復帰を決意した理由とは? 【Gettyimages】

 酒井宏樹が2016年夏から5年を過ごしたオリンピック・マルセイユ(OM)を離れ、今、日本で新しいスタートを切ろうとしている。最後まで出場機会には事欠かず、むしろ故障しても疲労してもプレーしなければならない状況に置かれていた酒井だが、別離の理由は「今、離れるべきときが来た」と感じたことだった(取材日:2021年5月末)。

1%でもマルセイユと戦う可能性がない場所に行こうと思った

マルセイユでの経験を「最高の5年間」と評した酒井。ヨーロッパ内での移籍先は探していなかったという 【Gettyimages】

――今季はどのような1年でしたか?

 この1年は本当に長く感じました。監督3人と一緒に働く、なかなかレアなシーズンでしたが、どの監督ともいいコミュニケーションを取れたと思いますし、全力でその3人の戦術を学ぼうとしました。苦労の多いシーズンではありましたが、その苦労もまた大事な経験。多くのことを学んだシーズンだったと思います。非常にポジティブでした。

――マルセイユでの5年間を振り返ってください。苦しいことも楽しいこともあったと思います。

 そうですね、でも本当にすべてひっくるめて、最高の5年間でした。本当に、何も悔いはないです。もちろん悔しさはところどころではあったけれど、やり残しとかは全くない。このユニホームを身に着け、常に責任感をもってやらせてもらった。チャンスを与えてもらったことに、すごく感謝しています。人生の中ですごく大事にしたいクラブなので、もうヨーロッパ内では他の行き先は探さない、と決めていました。ヨーロッパでまだまだできるのは分かっていますけど、これは自分の中のけじめとして、1%でもマルセイユと戦う可能性がない場所に行こうと思ったんです。

――そういう思いもあって日本のクラブにしたのですか?

 そうです。ヨーロッパの行き先は探していないですし、探していなくても話は来ましたけれど、オファーになる前に断りました。ここ1、2年は、僕の中ではそのくらい日本かOMときっぱりしていて、マルセイユで絶対的な存在でなくなった時に帰ろうと思っていた。外国人枠を1枚使っていますし、そのくらいの責任感でやらないといけないと思っていたんです。

――では絶対的存在じゃないという思いが、アンドレ・ビラス=ボアス監督の時にあったということでしょうか?

 そうですね。自分としてはやはり、試合には出ているけれど、一瞬一瞬自分のプレーに満足できて手応えを感じられていたかと言ったら、そうではなかった。そうなると、けっこう寂しいんですよね。それまでの3年間があったので。

――疲労していても全く休みなく、がんがん起用されていましたが。

 そういう問題でなく、自分の感覚的に、プレー面で満足できる感じではなかった。やはりそこは、嘘はつけない。

――ビラス=ボアス監督の時、けがにもかかわらず、かなり無理してプレーすることを強いられ、体調が悪い時に出てプレーの質が落ちては……と悩んでいましたが。

 というよりも信頼感ですね。今のホルヘ・サンパオリ監督も、ルディ(・ガルシア)もすごく信頼してくれていた。でもビラス=ボアス監督の時に信頼を得られなかったのは自分のせいなので、全然監督のせいだとは思っていません。ただ、信頼を得られなかったのは残念だったと思います。

大変なことがいろいろあったけれど、本当に最高の5年間だった

「今が去るタイミングだと思った」と酒井。サンパオリ監督(中央)からは最後の日まで残ってほしいと言われ続けていた 【Gettyimages】

――新監督のサンパオリが来るのが遅すぎた、と前に言ったのは、ビラス=ボアスの時にそう感じて、冬に日本移籍の話を進めてしまっていたからですか?

 そうです。日本のマルシェ(移籍市場)は3月まで開いていたので、3月のマーケットで出ようかなと思っていました。でもクラブに、夏には許すから今は残ってくれ、と言われて。

――サンパオリがもっと早く来ていたら違っていたかもしれない、という感じはありましたか?

 そうですね。サンパオリ監督が、「残ってくれ」と熱く言ってくれた時には、もう仮サインした次の日とかだった。まだ用紙を送ってはいなかったので、何日か考える時間をもらったんですけど、この監督が遅く来たというのも巡り合わせなので、それはそれで運命なのかもしれないと思った。そういうことだったんだ、というふうに。でも、だからこそより、サンパオリ監督の戦術を一瞬一瞬大切に学んだし、それは監督にも伝えました。


――サンパオリ監督は最後の日まで残ってほしいと言い続けていたと聞きますが、新監督下で3バックの一角としていいプレーをし始めていたので、もったいないという思いはないですか?

 監督に残ってほしいとずっと言われていたのは事実で、それはすごくうれしいことです。でも、自分で決めたことなので、全くぶれはありません。日本に行くことって、すごく難しいと思うんですよ。やはりマルセイユから来たとなると、活躍して当たり前、という目で見られますし、たぶんヨーロッパの下手なチームでやるより、ずっと難しいと思う。だからやりがいはあるし、OMでやった功績というのは1回自分の中で捨てる……というか、横に置いておかないといけない。そのくらいの強い覚悟でやらなければと思っています。

――前にお腹いっぱいになりたくないと言っていましたが、今回惜しまれて去るということでタイミング的に正しいと思ったのでしょうか?

 直観のようなもので、本当に、今が去るタイミングだと思いました。日本のクラブから本当に熱いオファーをいただきましたし、ここでチャンピオンズリーグ(CL)にも出ることができました。ヨーロッパで可能なすべての大会に出たので、新たな挑戦の場を求める、というのは僕の中では良い選択だったし、自分が行きたい場所というのが、生活も含め、ここ以外ではヨーロッパには見つけられないと思った。本当に素晴らしい場所だったので。まあ終わってみれば素晴らしい、とでもいうか(笑)。途中には大変なことがいろいろありましたけど、それも含めて本当に最高の5年間でした。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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