多田修平が9秒台4人に先着した勝因 日本短距離界の進化が生んだ明暗

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多田が涙の初優勝で五輪内定

過去最高のレベルと緊張感の中で行われた決勝を制したのは多田(右から3番目)だった 【写真は共同】

 雨は上がっていた。国内最高の大会である日本選手権で、近年の男子100メートル決勝はなぜか雨が多い。リオデジャネイロ五輪代表が決まった2016年、世界選手権の選考対象となった17、19年。そして東京五輪代表が決まる今回の第105回大会も、約1時間前にはお決まりであるかのように土砂降りとなった。ただ、この日はレースが始まる前にピタリと雨は止み、五輪に向けた最後の決戦の準備は整った。

 6月6日の布勢スプリントで9秒95(追い風2.0メートル)の日本新記録を打ち立てたばかりの山縣亮太(セイコー)。9秒97の前日本記録保持者であるサニブラウン・アブデルハキーム(タンブルウィードTC)。自己ベスト9秒98の桐生祥秀(日本生命)、小池祐貴(住友電工)に加え、同じく10秒01の多田修平(住友電工)と、5人がレース前の時点で五輪の参加標準記録(10秒05)を突破。9秒台ランナーが4人肩を並べる史上初の決勝が、上限5000人の観客の前で繰り広げられた。

 スタートから抜け出したのは、6レーンの多田だった。6日に自己ベストを更新した勢いそのままに、持ち味の低い姿勢の飛び出しから流れをつくり、後続とのリードを広げていく。同じようにスタートを得意とする山縣も前半から背中を追うが、なかなかその差が縮まらない。出遅れた桐生は後半もペースをつかめず、馬力のあるサニブラウンも多田の快走を止められない。序盤のアドバンテージを最後まで保ったまま10秒15(追い風0.2メートル)で走り抜け、初優勝。最高の形で五輪代表の座を射止め、「こういう結果が残せて感極まりました」と、歓喜の涙を流した。

 10秒19で自己ベストを更新し、2着に入ったのは東海大のデーデー・ブルーノ。山縣が10秒27で3位となり、こちらも五輪内定をゲット。惜しくも1000分の1秒差で小池が4位となり、以降は桐生、サニブラウンとベスト9秒台の選手たちが続いた。3位から6位までは、わずか0.02秒差の中に4人が並ぶ大混戦となった。

「自分の走り」に専念した多田と、前を意識してしまった山縣

五輪内定を決めた多田(右)と山縣。山縣は1000分の1秒差で3位に滑り込んだ 【北川外志廣】

 これほどまでに大一番の緊張感を感じさせるレースはなかった。ライバルの持ちタイムが高いということは、些細なミスでも命取りになる可能性が高いということだ。それに加えて五輪出場を眼前に走るというプレッシャーの中で、「自分の走りを貫く」ことの難しさは言うまでもないだろう。その過酷なミッションをやり遂げたのが、初優勝を手にした多田だった。

 ずばり、勝因は何だったのか? 報道陣の問いかけに、多田はこう即答した。

「今まで以上に集中していたというのもありますし、(自己ベストを出した)布施から試合を重ねていくごとにスタートから中盤が良くなっていました。そのおかげで、日本選手権は自信を持って挑むことができました」

 もともとスタートダッシュは多田にとっての代名詞のようなものであり、04年アテネ五輪金メダリストのジャスティン・ガトリン(アメリカ)も絶賛するほどの切れ味を誇る。唯一無二の武器を磨き上げ、万全の心理状態で飛び出せたことが直接的な勝因だ。また、課題となっていた終盤以降については「正直、記憶がないです」。迫ってくる後続を意識から遠ざけるほどの深い集中で、失速を抑えることに専念していたという。プレッシャーを振り切り、まさに「自分の走り」だけを意識することに、この大舞台で成功した。

 一方で、山縣は試合後「気持ちが空回りして、硬いレースになってしまった」と振り返った。6日に初の9秒台を出して「体感したことのないスピード感」を体に刻んだこともあり、確実に疲労が蓄積していた。決勝当日の朝は「疲労感はすごかったですが、午前中のウォーミングアップを通じて体が動くようにしてから挑みました」と、決して万全ではなかった。その状態で前を行く多田が中盤以降に視界に入り、「追い付こうと思って力んじゃいました」。日本記録をたたき出した布施では同じ展開から終盤で抜き去ることができたが、肉体的にピークが合わなかった今回は逆転することは不可能だった。

 それでも、1年延期となった五輪イヤーに右膝蓋腱炎などの度重なる故障から蘇り、わずか1000分の1差を制して内定を勝ち取った山縣には、何か風が吹いているような気がしてならない。本人は「(3位に食い込んだ理由を)運じゃないですか?」と笑顔で答えたが、3大会連続の出場を決めた29歳には、この日露呈した課題を本番までに修正する実力があるはずだ。

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