アフリカで奮闘する日本人バレーコーチ 初戦は日本「脅かすような試合をしたい」

平野貴也

東京五輪への切符、人生で一番嬉しかった出来事

アフリカ予選を優勝して、東京五輪の出場権を獲得したケニアチーム。片桐さん(前方左端)にとっても忘れられない瞬間となった 【写真:本人提供】

――突然の売り込みから強化に携わってきたケニア女子代表は、20年1月にアフリカ大陸予選を見事に優勝しました。

 僕の人生で一番嬉しかった出来事です。決勝戦ではなかったのですが、鍵になるカメルーン戦にフルセットで勝ったときは、号泣しました。あの試合は、一生忘れないと思います。選手だけの戦いではないと強く感じました。選手、監督、アシスタント、トレーナーというチームで一つ。多くの人と喜びを分かち合えることが嬉しかったです。その中で、少なからずチームに新しい価値を与えて貢献できたと感じていますし、それは、ケニアのみんなが私を認めて受け入れてくれたから実現したことなので、感謝しています。

――本来なら、その歓喜の半年後に五輪が行われるはずでしたが、コロナ禍となり、同年4月に帰国せざるを得なくなりました。帰国後は多くのチームの練習に参加されたようですね。

 帰国の途中、中東の空港で、東京五輪の延期決定を知りました。ケニアで練習ができない状況で残っていても貢献できることは少ないので、日本でもう一度学んで、もっと役に立てるようになって戻るとケニアのみんなに約束しました。帰国後は、地元の山形県で部活動のチームを中心に、40〜50チームを回って指導方法などについて教えてもらいました。活動を理解して協力してくださった方々に感謝しています。たくさんの指導者に会うことにより、選手へのさまざまな関わり方を知れたことが一番の学びでした。

――その間の活動費用も自分でスポンサーを集めたのですよね?

 部活動への指導参加には、私が学ぶだけでなく、私の海外経験を地元に還元したいという思いもあって、やると決めた活動でした。国内待機中は、月額10万くらいの支給を受けていましたが、それでは活動できないので、資金を募りました。最初は、学生時代の友人が勤める会社。次に、そこから紹介してもらった会社、と早い段階で複数の支援を得られたことが影響し、最終的に、県内11の企業・団体に支援をいただきました。昼は、スポンサーにテレアポ。夕方は、バレーボールの部活動のチームにテレアポという日々でした。

日本相手に「ケニアも、やるな!」と見せたい

片桐さん(後方右から2人目)が始めた「元気玉プロジェクト」で日本から寄付されたボールを手にするケニアの選手たち 【写真:本人提供】

――帰国中、ケニアの代表チームとのコミュニケーションは、どうしていましたか?

 トレーニング内容をビデオで伝えていました。ただ、近くにいない分、どう伝わっているか分からないですし、うまく伝わらずに、選手が頑張ったものを否定してモチベーションを落としたくないので、細かい指導や修正はしませんでした。すべての活動のベースは、コミュニケーションです。距離が離れて、関係性が薄れると、それまではOKだったこともOKではなくなるかもしれません。遠隔では、その点に自信が持てなかったので、指導は難しいと感じました。なんとか自分ができることを探してやらせてもらっていたという感じです。ビデオでトレーニングを一つ教えたくらいで、選手やチームが大きく変わることはありません。でも、みんなとつながっているよというメッセージが大事だったのかなと思います。動画の最後は、必ず「私たちは一緒だ」という意味のスワヒリ語「TUKO PAMOJA(トゥコ・パモジャ)」で締めていました。

――そうした苦労を経て、今年1月にケニアへ戻られましたが、どのような反応でしたか?

 やっと戻れたという思いで嬉しかったです。ケニアの日常にもすんなり戻れました。みんなが僕を迎え入れてくれたのが大きかったです。考え過ぎだったのかなと思えるくらいでしたが、つながっていようと思ってやってきたからなのかなとも思います。

――日本で中古のバレーボールを集めてケニアへ送る「バレーボール元気玉プロジェクト」も始めましたよね?(※ケニアでは、代表チームなど一部を除き屋外練習が基本のため、ボールが傷みやすく、数が不足している)

 山形で100個以上のボールを集めて送ったのですが、もっとできるのではないかということで全国に呼びかけて1カ月で600個以上のボールが集まり、ビックリしました。コロナ禍で飛行機も船も便が減ってしまい、郵送のコスト面で問題が出ていますが、やりきるつもりです。日本人がサポートしているチーム、日本で集めたボールを使っている国のチームという形で、日本の方に少しでもケニアを身近に感じてもらいたいですし、東京五輪のときには、ケニア代表が開催国で応援される雰囲気を作りたいです。ケニアのバレーボールの普及をするのは僕自身の仕事。でも、それだけでなく、日本の方にも、日本とは異なる環境で頑張っている選手もいるよと伝わるといいなと思っています。

――そうした交流の活動が、一つの目的地として集約していけるのも五輪という舞台が持つ特別な価値ですよね?

 私は、五輪は、ただの競技会ではないと思っています。各大陸を意味する五つの輪の話ではないですけど、世界的な交流が行われることに意味があると思っています。皆さんに見てもらえるのは、五輪だけかもしれませんけど、そこを目指して、僕は2年前からですが、もっと長くかけて、交流をしている方々もいます。五輪という目標を持つことで、そこにストーリーが生まれていくんだなと思います。

――ケニア女子代表は、初戦が日本戦。読者をはじめ、多くの日本人に、チームを見てもらうことができますし、その背景にある現地の実情や取り組みを知ってもらえる機会です。

 開催国の初戦でゲームの注目度が高くなったことは、本当にありがたいです。アフリカ勢はまだ五輪で1勝もしていません。私自身が五輪に帯同できるかどうかは分かりませんが、選手たちと一緒に日本と戦う気持ちでいます。厳しい戦いになるとは思いますけど、見ている人が「ケニアも、やるな!」と脅かすような試合をしてもらいたいです。強豪国から1セットでも取ったら快挙。それができるかどうかで、ケニア、アフリカで与える影響は大きく変わってきます。可能性はあると思っていますし、そのためにも、自分にできることを探してサポートを続けたいと思っています。

片桐翔太(かたぎり・しょうた)

1987年生まれ、山形県寒河江市出身。山形南高でインターハイ、全日本高校選手権に出場。山梨大を卒業後、2010年に青年海外協力隊員となり、ウガンダに赴任。帰国後は民間企業勤務を経て、日米で指導。再び海外協力隊員となり、19年4月からケニアに派遣。同年5月からコーチとしてバレーボール連盟に所属し、女子代表チームをメインで担当しながら、地域の学校、クラブチームでも指導を行っている。指導するケニア女子代表が20年1月、東京五輪のアフリカ大陸予選で優勝し、出場権を獲得している。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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