アフリカで奮闘する日本人バレーコーチ 初戦は日本「脅かすような試合をしたい」

平野貴也

バレーボールの寄付活動など、現ケニア代表だけでなく未来のケニアバレーボール界の発展にも貢献している片桐さん(後方左) 【写真:本人提供】

 五輪は、ただの競技会ではない。ケニアで女子バレーボール代表チームの指導に携わる片桐翔太さんは、その言葉の意味を「各大陸を意味する五つの輪の話ではないですけど、世界的な交流が行われることに意味があると思っています」と話してくれた。東京五輪は、世界中の人々の取り組みを、スポーツを通じて互いが知り、学ぶ機会だ。

 世界には、日本以外の国で五輪を目指している日本人もいる。片桐さんがサポートしているケニア女子代表は、2020年1月に行われたアフリカ大陸予選を優勝(4戦全勝)。00年シドニー、04年アテネに続く3度目の五輪出場を決めた。東京五輪では、日本と初戦で対峙(たいじ)する。片桐さんは、コロナ禍で一度帰国を余儀なくされたが、今年1月にケニアへ戻り、再び指導にあたっている。東アフリカから目指す五輪の価値とは何か。どんな思いで、どんな活動をしているのか、話を聞いた。

新しい価値感覚をチームに提供

――五輪開会式まで100日を切りました。まず、ケニアの現在の状況を教えてください。

 首都ナイロビは、ロックダウンをしていて、すべてのスポーツ施設の使用が禁止されています。その中で、国際大会に出場する選手やチームが例外的に、行動範囲をバブル内に制限することで活動が許されています。バレーボール女子代表は、3月末から合宿を行っていますが、4月上旬は、体育館がワクチン接種会場になって使えず、屋外でフィジカル系のトレーニングをしていました。今は体育館を使用していますが、コロナの防止策として、人数を制限して2グループに分けて活動しているときもあります。

――片桐さんの代表チームにおける役割を教えてください。技術指導だけでなく、フィットネス系のトレーニングや、情報分析に注力されているようですが?

 私自身の強みは技術の指導で、トレーナー業や分析は専門ではありません。ただ、チームとして、ストリングス&コンディショニングのトレーニングが少ないことや、データ分析の活用が得意でないことなどに気付き、注力するようになりました。最初は「そんなの要らない」と言われました。身体能力には秀でているので、筋力トレーニングは不要という考え方や、統計を取らなくても、指導者が自分の感覚で分かっているという考え方だったからです。でも、新しい価値感覚を提供できるのは、外部から来る人間の強みです。感覚を変えていけたことが、一番役に立てたことだと思っています。今では、クラブチームでもフィジカルトレーニングが必要という考え方が浸透して、すでにノウハウを持っているラグビーなどのトレーナーを招へいするようになりました。

――確かに、アフリカ系の選手は身体能力が高い印象があります。どのようなトレーニングを導入したのですか?

 身体能力は確かにすごいですけど、フィジカルのベースアップをした方が、技術は安定します。ケニアの選手は、クセが強く、安定感を欠く部分がありました。フォームが安定すれば、身体能力ももっと生かせます。一番大きく影響が出たのは、レセプション(サーブレシーブ)です。飛んだり跳ねたりは得意だけど、一つの姿勢でこらえて「待つ」動きが苦手でした。トレーニングに納得してもらうためには、目に見える結果が必要です。スクワットで、かがんだ姿勢のまま我慢する時間を長くして、レセプションの姿勢に慣れるようにしたことで、我慢できずにボールに近付いてミスをする場面は減りました。

関係作りを意識し信頼を勝ち取る

――データ分析についても、どのように導入したのか教えてください。

 私のやり方が必ず正しいわけではないので、いきなり数字を見せるようなことは、していません。監督と話す中で「今の試合で一番、安定してスパイクを決めたのは、誰だったと思いますか。A選手? 当たりです。じゃあ、二番目は誰でしょう。B選手? 意外かもしれないけどC選手でした」と会話の中に入れるようにしました。監督のイメージと一致する部分と、新しい発見になる部分が出たことに意味があります。たぶん全部印象と違う数字を見せたら「そんなデータ要らない」と言われます(笑)。コミュニケーションを取っていくうちに、次第に監督やコーチが「今の試合では、誰の数字が良かった?」と聞いてくれるようになりました。統計を取ることで堅実な選手も評価されるようになり、監督やコーチ陣が数字を見るようになったことで、選手も確率を重視してプレーするようになりました。

――不要と思われていたものを認めてもらうのは、大変ですよね。

 最初の1〜2カ月は、何も言わず、ボール拾いをしていました。そのうち、話をして信頼関係ができて「ショウタ、これは、どうすればいいかな?」と聞いてきてくれるようになって、少しずつ自分の考えを伝えるようにしました。向こうが聞こうという姿勢になってくれるまでは、僕は「見ず知らずのアジア人」でしかありません。それが「友だちの片桐が言っているなら、やってみようか」となる、その関係作りが一番意識したことです。

――以前に青年海外協力隊で隣国のウガンダに行かれた経験が生きているのでしょうか?

 ウガンダでの経験は、ケニアでの活動に大きく影響しています。当時は英語も話せず、片言の日本人がいきなり話しても、何も説得力がないという体験をしました。いつか、アフリカから五輪に関わりたいというイメージを得たのも、その経験からです。実は、今回の海外協力隊のケニア派遣では、代表チーム強化は正式なミッションになっていませんでした。そういう話も聞いていたのですが、要綱には、ナイロビ郊外での指導しか書かれていなかったのです。でも、現地で教えるからには、代表チームにも関わり、ケニアでの競技普及に大きな成果を生みたいと思いました。それで、ウガンダにいる知人から情報を得てナイロビで行われていたビーチバレーの試合会場に行き、片っ端から関係者にあいさつをして、ケニアの代表チームの活動場所を教えてもらい、体育館に「はじめまして、日本から来た片桐です。一緒にバレーボールをやらせてください」と頼みに行ったのが代表チームでの活動の始まりです。もちろん、最初は「は? お前、誰だよ?」となりましたけど(笑)、ケニアは、1970年代から日本人が指導や普及に携わってきた背景があり、日本人への信頼はあったので、認めてもらえました。ケニアが五輪に出場した2000年、04年も日本人の指導者が関わっています。先人の活躍や信頼関係があったからこそ日本人である私も受け入れてもらえたのではないかと思います。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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