【新日本プロレス】“秘密基地”で飯伏幸太選手に直撃インタビュー!(前編)

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【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

4.29鹿児島大会にて、復活を遂げた飯伏幸太選手。今回は、秘密基地と言われる専用道場にお邪魔して、1.4東京ドームに二冠王者となって以降、怒涛の渦が巻き起こったベルト統一〜IWGP世界ヘビー級王座誕生まで、激動の3か月間を振り返る特別インタビュー! まずは前編!

撮影/タイコウクニヨシ

※以下、インタビューの「序盤部分」をSportsNaviで無料公開! 

この秘密基地は、ボクのために作られたような場所であり、ボクの頭の中が、“ココ”ですね。

【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

――さて、飯伏選手。今回は、約3年半ぶりに飯伏選手が昔から個人的に使用されているコチラの道場におじゃましまして。

飯伏 どこか変わりましたか?

――いや、あまり変わってない気がしますね。あらためて、この道場は飯伏選手にとって“特別な場所”というか。

飯伏 そうですね。いわゆる“秘密基地”なんですけど。これは想像にお任せするというか。この世に本当に存在するのかどうかは、想像にお任せします(笑)。

――想像に(笑)。とは言え、SNSでもよく道場の写真がアップされてますけど。

飯伏 まあ、そうですね。ここはある人のお宅の敷地内にあって、鍵を持ってるのはボクくらいなんですよ。この秘密基地での取材もボクがいるのが前提で、ボクのために作られたような場所であり、ボクの頭の中が、“ココ”ですね。

――なるほど。この道場は、飯伏選手の脳内そのものだと。

飯伏 ハイ。脳内がココにあるんです(笑)。

【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

――こちらで他団体の選手と合同練習をされているのを見たことがありますが、この場所に新日本の選手が足を踏み入れたことは?

飯伏 ありますね。最近だと、YOHくんが来ました。

――あ、飯伏選手の大ファンと公言しているSHO選手ではなく、YOH選手なんですね。

飯伏 ええ。YOHくんは復帰直後くらいに、トレーナーの菅野(洋介)さんと来ました。新しい技を編み出したいということで。イメージはできていて、「それが実際に可能なのか?」という相談を含めて、一緒に練習して。あとは(マスター・)ワトも来たことあります。

――ワト選手も! 昔から飯伏選手のファンだという発言されてますが、この道場に練習をしに?

飯伏 そうですね。ワトのフィニッシュの飛び技(RPP)があるじゃないですか。あの技に関するアドバイスをしたら、道場に練習に来てくれて。自分は「来るならなんでも教えるよ」というスタンスなんで。

――ワト選手とは、試合前のウォーミングアップの時も飯伏選手がアドバイスをしている姿をよく見ますね。

飯伏 そうですね。彼とはここ数ケ月、あまり会場で会わないことがあったんですけど。彼は試合スタイルがボクと似てるんで、蹴り方をちょっと教えたり。ただ、彼は彼で新日本の生え抜きですし。いろいろな選手にアドバイスをもらっているみたいですけど、最終的には自分自身が思ったこと、考えたことをやるのが一番大事だと思うので。「こういうふうにしなよ」じゃなくて「俺はこういうふうにやってるよ」っていうことだけを教えましたね。

――最終的には自分で決めろと。飯伏選手はこの道場で一人で過激な猛練習をされてるみたいですが、それも一緒に?

飯伏 ああ、“追い込み”は一回だけ、最後にやりましたね。でも、“追い込み”っていう“追い込み”はやってないですね。

――じゃあ、多少の加減はしたと。

飯伏 少し加減はしました。でも、追い込まれてましたね(笑)。「これはキツいっすね……」って言ってました。

(両国の翌々日)そこで初めて「あ、ベルトがないんだ!」って思うのと同時に、「……アレ? 冬は?」ってなりまして。

【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

――さて、飯伏選手は4.4両国でウィル・オスプレイ選手に敗れIWGP世界ヘビー級王座から陥落して以降、しばらくオフが続きましたが、現在のコンディションはいかがですか?

飯伏 その両国の試合翌日の4月5日は寝るのみで……、本当に寝るのみでしたね。

――丸一日、ただただ寝ていたと。

飯伏 ハイ。もう丸一日、何にも考えずに。なんだろう、「緊張がいったん途切れた」みたいな感じですかね。

――今年の東京ドーム2連戦でIWGPヘビー&IWGPインターコンチネンタル王座の同時戴冠を果たして以降の怒涛の3か月間は、あまりにも激動の毎日でしたから。

飯伏 いやもう、本当にいろいろありすぎて、気持ちが追いつかないというか。ただ、「5日は寝る」って決めてたんですね。で、4月6日ですよ。そこで初めて「あ、ベルトがないんだ!」って思うのと同時に、「……アレ? 冬は?」ってなりまして……。





※この後は、二冠統一〜IWGP世界ヘビー級王座新設、怒涛の日々に言及!
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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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