スポーツのアカデミー賞“Laureus”とは 日本から「スポ止め」がノミネート

大島和人

前向きな希望を持たせてくれる

日本からも「一般社団法人スポーツを止めるな」の活動がスポーティング・モーメント賞にノミネートされている 【写真提供:Laureus】

 今年のスポーティング・モーメント賞には日本から、「一般社団法人スポーツを止めるな(以下、スポ止め)」の活動がノミネートされた。オンライン投票は4月16日から開始されていて、4月30日まで可能だ。日本も含めた全世界から投票を受け付けている。
「スポ止め」はコロナ禍の20年5月に立ち上がったムーブメントだ。日本のスポーツ界ではあらゆる大会が中止となり、各競技の選手がアピールの機会を失った。日本ラグビーフットボール協会でタレント発掘を担当していた野澤武史が「#ラグビーを止めるな」「#バスケを止めるな」のタグを添えて、ツイッターに動画をアップすることを発案。これが瞬く間に他競技を巻き込んだ「#スポーツを止めるな」のプロジェクトとなり、社団法人として組織化され、今もなお活動領域を広げている。

 その理念、活動はローレウス・スポーツ・アカデミーのアンテナにも届いていた。フィッツパトリック会長は「スポ止め」の活動をこう称える。

「2人の元ラグビー選手が団体を創設し、そこから他の競技に広がって融合しているところが、まさにローレウスが掲げる価値観に一致しています。19年のラグビー・ワールドカップ(W杯)におけるジャパンは、常に他チーム、観客の皆さんに敬意を示していました。『スポーツを止めるな』も、そういった姿勢を象徴しています。今は20以上の競技が団体に参加していると聞いていますし、五輪選手のような著名人にもサポートされています。そして子どもたちが常に身体を活発に動かせる、スポーツを続けられる環境を整えようというメッセージを伝えています」

 スポーツを止めるなは「Never Stop Playing Sports」と英訳される。新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは、世界中のスポーツ活動を脅かした。もちろん疫病の蔓延を防ぐためにイベントに一定の制約が出るのは仕方がない。しかしスポーツをする、見る場が奪われる状況が、人々の心身の健康に負の影響を与えたことも事実だ。

 日本では中学校、高校の部活が盛んに行われているが、彼らは目標を奪われた。練習の成果を示す場を奪われ、次のステップに進むためのアピールが難しくなった。「スポ止め」の活動はそんな状況に寄り添い、迅速に次善の策を用意し、展開していった。

 フィッツパトリック会長は述べる。

「私は普段ロンドンに住んでいるのですが、イギリスは長期間のロックダウンを経験しました。スポーツ観戦はもちろん許されず、テレビの生中継もなくなりました。人々のメンタルに強い負荷がかかっていたと思います。そんな中『スポーツを止めるな』のような団体は、希望を与えてくれます。スポーツがいずれは戻ってくるという、前向きな希望を持たせてくれました。ハッシュタグの #スポーツを止めるな(Neverstopplayingsports)という言葉を発するだけで、私自身も前向きになれます」

スポーツを通して社会に希望を与える挑戦

ローレウス・スポーツ・フォー・グッド財団の活動は21年目に入り、40以上の国と地域で活動している 【Getty Images for Laureus】

 スポーツは素晴らしいエンターテインメントだが、同時に社会課題の解決、特に教育の素晴らしいツールとなる。会長はこう強調する。

「スポーツはとても大きなポテンシャルを持っていますし、大きな役割を担えると思っています。スポーツはまず座学と違う学びの場を提供できます。読み書きとは違う、社会的な学びです。人を信じる、尊重することを学べますし、食育や健康管理の側面もあります。そして日本なら大坂なおみ、松山英樹といったアスリートが皆のロールモデルになっています。それぞれのスポーツを超えて、そのような位置にいます。ニュージーランドには『いい人がいいチーム、いい人生を作る』という言葉があります。スポーツの力はまさにそこです」

 スポーツがどう社会課題の解決に寄与できるのか。その一例が彼らの活動にある。

「ローレウス・スポーツ・フォー・グッド財団の活動は21年目に入りました。世界中で200を超えるプロジェクトを支援し、40以上の国と地域で活動しています。その活動によってサポートされた人は通算で約600万人もいます。人種差別、多様性、女性のエンパワーメント、メンタルヘルスなどさまざまな分野で成果がありました」

 フィッツパトリック会長は95年のラグビーW杯・南アフリカ大会にキャプテンとして臨み、決勝戦で南アフリカに敗れた。同大会は後に映画『インビクタス 負けざる者たち』の題材ともなっている、スポーツが社会を変えた実例だ。

 当時の南アフリカは91年に人種隔離政策(アパルトヘイト)が撤廃され、ネルソン・マンデラ大統領のもとで国家の再建に取り組んでいた。政治犯として長く投獄されていたマンデラだが、復讐でなく融和を説き、その過程でW杯を支援した。南アフリカ代表はカラード(有色人種)を加えた全民族の代表となり、融和の象徴となっていく。

 そのマンデラの言葉が、ローレウスのポリシーになっている。フィッツパトリック会長は説く。

「第1回目のローレウス世界スポーツ賞の授賞式でネルソン・マンデラから授かった言葉が“You must go out and change the world”でした。彼はわれわれに『社会に出て世界を変えていく使命がある』と説きました。社会課題はなお多いと思いますが、スポーツだからこそ、人々をユナイト(団結)させることができます。例えば第一次世界大戦のときに連合軍とドイツがクリスマスに休戦して、みんなでサッカーをしたというエピソードがあります。そういう事例を知るからこそ、われわれは希望を持てます。スポーツの力を通して世界を変えられる――。そんなメッセージを伝道師のように伝える役割を、われわれは担っています」

 彼が名を挙げた大坂なおみ、松山英樹のように、日本から世界へ羽ばたくアスリートは徐々に増えている。スポーツを通して社会に希望を与える挑戦は引退した選手、われわれのような一市民にも可能だ。社会が困難に見舞われているときこそ、スポーツの力は必要になる。そんな良き実例の一つが「スポーツを止めるな」の活動だ。

 ローレウス世界スポーツ賞は、世界に目を向けてスポーツの価値を評価し続けている。さらにローレウス・スポーツ・フォー・グッド財団の活動を通して、スポーツのポテンシャルを引き出している。フィッツパトリック会長の真っすぐな言葉から、スポーツが世界をより良いものにできるという希望が伝わってきた。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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