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香川真司「心が震えるか、否か。」
香川真司はなぜ古巣に戻ることにしたのか
ドルトムントで原点に立ち返る

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第5回

マンチェスター・ユナイテッドでのラストゲームは不完全燃焼。この試合の後、香川は移籍を決めた
マンチェスター・ユナイテッドでのラストゲームは不完全燃焼。この試合の後、香川は移籍を決めた【Photo:Matthew Peters/Manchester United via Getty Images/AFLO】

「こんな形で、大事な一戦が終わった。マンチェスターでの生活もここまでということなのかもな」


 香川真司は頭に痛みを感じながら、そう考えていた。



 2014年の8月26日、マンチェスター・ユナイテッドは、リーグカップで3部リーグのMKドンズと対戦した。香川にとっては、ブラジルW杯後初めての公式戦だった。


 しかし、試合開始直後に相手選手と接触した際、頭部を強打してしまう。脳しんとうのため、前半20分には交代せざるをえなかった。


 良い形で試合に入れたかなと感じ始めたところでのアクシデントだった。そして、ユナイテッドも3部のチーム相手に0-4という目を疑うようなスコアで敗れてしまった。


 だから、あの夜は静かに現実と向き合っていた。


 チャンスだろうと思って、試合に出て……。オレは絶好の機会を活(い)かせなかった。“潮時”かもしれないな。

 時計の針を少し巻き戻してみる。


 このシーズンからユナイテッドの監督を務めることになったのが、ファン・ハールだった。直前のブラジルW杯では、下馬評の高くなかったオランダ代表を3位に導いた、経験豊富なオランダ人監督である。


 彼が来てから、ユナイテッドは7月までに7525万ユーロ(当時のレートでおよそ105億円。以下、金額は全て推定のもの)をかけて、大型補強を敢行した。


 前シーズンの終了後に長年チームを牽引(けんいん)してきたファーディナンドが移籍。選手兼コーチだったギグスは選手としての活動にはピリオドを打ち、アシスタントコーチに専念することになった。しかも、前のシーズンは7位に終わっていた。ド派手な補強も当然のことだろうと、香川ですら感じていた。


 アメリカで行なわれたプレシーズンツアーでは、新監督と面談する機会があった。監督の部屋に呼ばれ、こう告げられた。


「君が望んでいるようなチャンスはない。移籍した方がいいぞ」


 もっとも、この言葉が香川の心を大きく揺さぶったわけではなかった。


「何か適当な理由を言われるよりもむしろ、その時点での評価をはっきり教えてもらった方がいいです。そこでやるか、やらないかは、自分次第なわけで。だから、あのときは、ショックを受けたわけでも、イラッときたわけでもなかったんですよ」


 まして、ファン・ハールは、これまでも歯に衣着せぬ物言いを続けてきたことで有名な監督でもある。ただし、このとき以上に厳しい言葉をかけ、戦力外のように扱った選手を、後に重用したことも過去にはある。


 実力さえ発揮できれば、評価なんてどうにでもなる。


「わかりました」


 香川は短く答えて、監督の部屋をあとにした。

香川真司
香川真司

1989年3月17日生まれ。兵庫県出身。中学入学と同時に宮城県へサッカー留学し、FCみやぎのジュニアユースに所属。高校2年生でセレッソ大阪に加入、J2得点王に輝くなどクラブのJ1昇格の原動力となる。2010年、ドイツのボルシア・ドルトムントに移籍すると中心選手として活躍し、9期ぶりのブンデスリーガ制覇やクラブ史上初となる国内2 冠に大きく貢献。2012年にイングランド・プレミアリーグの名門マンチェスター・ユナイテッドに移籍してリーグ優勝を経験。その後、ドルトムント、トルコのベシクタシュJK、スペイン2部リーグのレアル・サラゴサを経て、ギリシャのPAOKテッサロニキに所属。日本代表には平成生まれの選手として初めて選出され、背番号10を背負い、2014年ブラジルW杯、2018年ロシアW杯に出場。日本代表97キャップ、通算31ゴール。

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