2つのサッカー日本代表が示す五輪への道 1年4カ月ぶりの代表戦が意味するもの

宇都宮徹壱

アルゼンチン代表監督が語った、東京五輪への想い

アルゼンチン・バティスタ監督は東京五輪について「無事に開催されてほしい」とコメントした 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 日韓戦の翌日、東京スタジアムで日本とアルゼンチンの五輪代表による親善試合が行われた。サッカーファンには言わずもがなだが、サッカーの五輪代表はU-23(23歳以下)。しかし今回は、東京五輪の開催が1年延期となり、U-23だった選手が1つ年齢を重ねてU-24となった。頭では理解しているつもりでも、どうしてもこの表現に違和感を拭えない。というのも、誰もが1つ年をとっているのに、延期となった大会の名称は「TOKYO2020」のまま。そこだけ時間が止まっているような、ある種の不条理さを感じてならない。

 先制したのはアルゼンチン。前半21分、マティアス・バルガスが右サイドをドリブルで駆け上がると、相対した板倉滉を巧みにはがしてクロスを供給。これにアドルフォ・ガイチが、ニアサイドでヘディングシュートを決める。後半15分を過ぎたあたりから、日本がボールを保持する時間帯が続いてチャンスを演出するが、アルゼンチンは持ち前の試合巧者ぶりを発揮。のらりくらりと日本の攻撃をかわしながら、要所要所をきっちり締めて1点差での逃げ切りに成功した。

 0-1で敗れた日本だったが、アルゼンチンとは3日後にも北九州で再戦できる。相手のモチベーションも高く、東京五輪本番に向けた強化としては理想的なマッチメークだったと言えよう。むしろアルゼンチンにとって、はるばる日本まで来たメリットはどれだけあったのか、いささか気になるところ。確かにオン・ザ・ピッチでは、それなりに手応えは感じられただろう。しかしオフ・ザ・ピッチ、とりわけコロナ対策の部分では、今回の日本遠征で不安を感じることはなかったのだろうか。

 私の質問に対して、フェルナンド・バティスタ監督の答えは、いささか歯切れの悪いものに感じられた。いわく「このパンデミックで、東京だけでなく世界中が難しい状況だが、7月から8月にかけては状況が改善されてほしい。ワクチンが行き渡り、コントロールされていることを願う。それは世界中が共通して願っていることだし、東京五輪についても無事に開催されてほしい。(そのときには)安心して東京に来られると思う」──。確信ではなく、願望。そこに、バティスタ監督の本音が透けて見えた。

代表戦の実現で、このまま五輪開催へ一直線?

東京スタジアムに集うサポーターたち。今回の開催によって、サッカーでは五輪開催の可能性が見えた 【宇都宮徹壱】

 横浜で行われたA代表の韓国戦、そして東京でのU-24代表のアルゼンチン戦。目的も内容も結果も全く異なる、この2つの試合を通して見えてきたものが2つある。どちらも東京五輪開催の可否に関するものだ。

(1)サッカー競技に限って言えば、今年7月の東京五輪で開催できる可能性が見えたということ。
(2)JFAと東京オリパラの組織委員会(さらには日本政府)のベクトルと歩調が、完全に一致していることが確認できたこと。


 それぞれについて、個人的に思うところを最後に記しておきたい。

 まず(1)について。A代表のコーチングスタッフに陽性者が確認されるなど、ひやりとさせられる出来事もなかったわけではないが、それでも2試合がつつがなく行われたことについては関係者に心から感謝申し上げたい。選手や関係者の外部との接触を完全にシャットアウトするバブル方式は、東京五輪にも引き継がれていくはずだ(もっとも、サッカーだけでも男女26チームが来日するわけで、そのひとつひとつに厳格なバブル方式を徹底させるのは、決して容易な話ではないだろう)。

 そして(2)について。前述のとおり、今回の一連の代表戦4試合(アルゼンチンとのもう1試合に加えて、3月30日にはモンゴルとのワールドカップ(W杯)・アジア2次予選も行われる)を可能ならしめたのは、政府のお墨付きが得られたからである。では、政府はJFAに何を期待していたのか? それは日韓戦と同じ25日から始まった、聖火リレーのセレモニーを見れば明らかだ。「復興五輪」をアピールすべく、そのスタート地点は福島県のJヴィレッジが選ばれ、第一走者は2011年の女子W杯で優勝した、なでしこジャパンの面々であった。

 国民の多くが開催に懐疑的な中、それでも東京五輪を開催したい。そう考える政府にとって、JFAの存在は「復興五輪」と「国際試合の開催実績」を国民に示すという点で、極めて重要であった。そしてJFAにしてみれば、東京五輪は男女の代表をアピールする絶好の機会。どんなやり取りがあったのかは不明ながら、両者がWin-Winの関係にあるのは事実であり、ここまでは非常にうまく歩調が取れているように感じられる。果たして、このまま五輪開幕まで完走できるのか、国内感染者数の動きと共に注視していきたい。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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