タイのバド代表を支える日本人トレーナー「東京行きを全力サポートするのが役割」

平野貴也

左上が堀川さん。混合複のデチャポル/サプシリ組(手前2人)は、東京五輪のメダル候補(写真は2019年韓国OP優勝時) 【写真:本人提供】

 東京五輪という大舞台を目指している日本人は、必ずしも日本代表ばかりとは限らない。他の国を背負って出場する選手もいれば、外国人選手のサポート役として力を注いでいる日本人もいる。タイでは、堀川琢也さんがトレーナーとしてバドミントンの代表選手をサポートしている。堀川さんの所属クラブ「SCGアカデミー」からは、混合ダブルスのメダル候補であるデチャポル/サプシリ組(2019年世界選手権・銀メダル)が東京五輪に出場する見込みだ。

 堀川さんは国内でトレーナー業を始め、2011年から海外に拠点を移した。インドネシアでは、代表チームのトレーナーに抜擢され、2016年リオデジャネイロ五輪に帯同。混合ダブルスの金メダル獲得に貢献した。翌年からはタイに拠点を移している。なぜ、海を渡ったのか。東南アジアで知った日本との違いは何か。海外進出を目指す若者へのアドバイス、東京五輪への気持ちなど話を聞いた。

リオ五輪で担当選手が金メダル「貴重な経験」

――まず、海外に拠点を移した理由を教えて下さい。

 トレーナーは、医療先進国では当たり前のように存在しますが、医療後進国の現場には少なくて、他の日本人がやっていないことをやってみたいという思いがありました。日本ユニシスのバドミントン部でトレーナーをしていたときに、インドネシア人のリオニー・マイナキーコーチ(現インドネシア代表コーチ)に相談して、インドネシアの「ジャルム」というクラブを紹介してもらったのが、きっかけです。最初は、すべてジェスチャー。選手のケアも、絵を描いて説明していましたが、クドゥスという田舎町で、簡単な英単語も通じず、生きていくために言葉を覚えるしかなかったので、半年くらいでインドネシアの言葉を覚えました。

――インドネシアでは、2016年リオ五輪に帯同されて、混合ダブルスの金メダル獲得に貢献されていますよね?

 2013年にリオニーさんの弟のレキシー・マイナキーさん(1996年アトランタ五輪、男子ダブルス金メダル)がインドネシア代表ヘッドコーチに就任し、代表チームに呼ばれて、サポートをするようになりました。タイに行ったのも、レキシーさんが、17年から代表のヘッドコーチに就任して、「一緒にやってほしい」と声をかけてもらったからです。16年のリオ五輪は、アクレディテーション(大会関係者の証明書で、選手村や試合会場での活動が可能になるIDカード)の数が少なく、バドミントン協会所属の私はもらえない可能性が高かったのですが、協会幹部の力添えで、私もIDをもらうことができました。インドネシアは、バドミントンが国技ですし、メダルを取れる可能性がある、唯一の競技だったから実現したことだと思います。幸いなことに、選手が金メダルを取ってくれました。サポートしていた選手たちが五輪、世界選手権、アジア大会と、バドミントンの主要大会の金メダルを全部取ってくれましたし、そのおかげで、私もすべての大会に帯同させてもらうことができ、貴重な経験ができました。

――東京五輪も帯同されるのでしょうか?

 ワールドツアーやアジア大会などの国際大会には帯同しているのですが、五輪はやはりパスの数が少ないので、私は行きません。おそらく、東京五輪に出場するタイ代表選手は全部で20名以下。タイオリンピック委員会所属のトレーナーが全体を見る形で付くのではないかと思います。

日本と東南アジアで異なるケアの方法

インドネシア代表時代の写真。笑顔でケアを受けているのは、北京五輪の男子ダブルスで金メダルのヘンドラ・セティアワン 【写真:本人提供】

――東南アジアで、日本の選手との違いを、どのような場面で感じていますか?

 日本の選手は、足の裏の皮がめくれたり、まめができたりということが頻繁に起こりますが、東南アジアの選手は、比較的、足の裏や足の爪がきれいです。日本は、フットワーク中心の練習が多く、足でシャトルの落下点に近づいて打ちます。しかし、東南アジアの場合、上半身から近付くような動きの選手が多く見られます。高温多湿で気密性が低く、湿気と埃で滑りやすい練習場で小さい頃から練習していることが影響しているのではないかと思います。同じ競技であっても国により練習環境が異なり、それに伴いプレースタイルも異なり、その結果、怪我しやすい部位も変わってきます。

――トレーナーとしての接し方も変わるのでしょうか?

 日本では、練習前のストレッチから始まりウォーミングアップ、練習後にクールダウンやアイシングをするという習慣が浸透していますが、インドネシアでは、まったくやらない選手もいます。自身の考えで取り組む文化で育ってきた選手に、いきなり、私が「〜〜をしなさい」と言ってもできませんので、セルフケアの方法や日常生活での注意点などを提案はしますが、強要はしません。

 リハビリに関しても違いを感じます。日本は、理学療法士・トレーナーにサポートしてもらってのリハビリ、トレーニング以外に“プラスアルファ”で少しでも何かしようと考えて行動する選手が多くいます。その真面目さが、日本の多くの選手が確実に早期競技復帰できる要因の一つだと思います。日本人ほど、言われなくても言われた以上にやる選手が多い国というのは、なかなかないと思います。東南アジアの場合、トレーナーに任せきりになったり、マンツーマンでケアをしていても、ちょっと目を離したら、ふざけてしまったりすることもあります(笑)。

五輪切符の獲得をサポートしたい

2016年、インドネシア代表のトレーナーとしてリオ五輪に帯同(最後列左)。混合ダブルスの金メダル獲得に貢献 【写真:本人提供】

――東京五輪という舞台は、いろいろなスポーツとの関わり方を知るチャンスでもあります。グローバル化によって海外の活動に興味を持つ若者も多いので、アドバイスをお願いできないでしょうか?

 今は、インターネットを用いて世界中で容易にコミュニケーションを行い、情報を得ることができるため、昔に比べると一歩を踏み出しやすいと思います。現在は、コロナ禍で簡単に海外に行ける状況ではありませんが、基本的に、海外に出たいと思ったときには、その段階でまず動いた方が良いのではないかと私は思います。もちろん、海外で暮らすにはその国の言語を覚えることが大切ですが、言葉は日本で学ぶよりも、実生活の中で覚える方が何倍も早く習得できます。日本で「まず、英語を完ぺきに話せるように勉強してから……」と躊躇(ちゅうちょ)していると、チャンスを逃してしまうかもしれません。若いうちにチャンスがあれば、まずは飛び込んでみて良いと思います。必ずしも海外が良いとは限らず、海外に出たことで、あらためて日本の良さを知って帰国される方もいますが、それも素晴らしい経験だと思います。

――最後に、東京五輪は帯同されないということでしたが、選手を送り出す立場としては、どのようなお気持ちですか?

 東京五輪に関する私の役割としては、まずは6月まで続く五輪(出場権獲得)レースを、選手がケガなく無事に戦えるように全力でサポートすることだと考えています。選手には、五輪という大舞台であっても、これまでの大会と同じ相手ですし、普段以上に注目されても浮つくことなく、平常心を保って戦い切ってもらいたいです。
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 今回は、リモート取材となったため、写真の提供をお願いしたのだが、写真に写るのが苦手で、あまり自身の写真は持っていないそうだ。携わる選手が獲得した金メダルを首にかけたことはなく、選手に勧められても断っているという。理由を聞くと「そのメダルを獲得するまでの経緯を近くで見させてもらって知っているので、私の首には、重すぎます。メダルの写真を撮らせてもらえば十分です」と笑っていた。東京五輪は、さまざまな人の努力が結集する舞台。堀川さんは、海の向こうで、目立つことを嫌がりながら、頂点を目指す選手たちのサポートを続けている。

■堀川琢也(ほりかわ たくや)
1978年生まれ、兵庫県宝塚市出身。宝塚西高校ではバスケットボール部に所属。関西鍼灸短期大(現・関西医療大)に進学し、鍼灸師の資格を取得。トレーナーとして活動を始め、2008年に日本ユニシスバドミントン部の常勤トレーナーとなる。その後、U-19日本代表の遠征などにも帯同。11年にインドネシアにわたり、代表チームでも活動。17年にタイへ拠点を移し、SCGバドミントンアカデミーでタイ代表選手らをケアしている。
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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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