一度失敗した自分だから伝えられること 桃田賢斗、第二の故郷・福島への想い【#あれから私は】

平野貴也

バドミントンプレーヤーのすべてを培った場所

世界選手権を連覇し、東京五輪でも金メダルが期待されている桃田。中・高の6年間を過ごした被災地・福島への想いは強い 【写真提供:UDN SPORTS】

「再スタートをするときには、そこの空気を吸って、先生たちに会って、生徒と触れ合うことで、初心に戻れる」――世界最強の男は、東日本大震災から立ち直ろうとする第二の故郷から、いつも力を得ている。

 バドミントン男子シングルス世界ランク1位の桃田賢斗(NTT東日本)は、中学・高校を福島県で過ごした。震災が起きたのは、高校1年の終わり頃。通っていた富岡高校(現・ふたば未来学園)が福島第一原発から10キロ圏内だったため、震災後は、同県・猪苗代町に拠点を移して活動。専用の体育館を持たない環境に変わったが、その中でもめげずに力をつけていった。

 3月11日で、東日本大震災から10年が経つ。世界選手権を連覇し、世界ランク1位に君臨するようになり、2021年に延期された東京五輪で金メダルが期待される存在になってもなお、桃田は福島県を「バドミントンプレーヤーとしてのすべてを培ったと言っても過言ではないくらいの場所」と話すほど大事にし、事あるごとに母校を訪れている。

時間が止まっていたかつての学び舎

猪苗代町に拠点を移して活動を再開した母校バドミントン部。逆境の中、2012年の全国高校総体バドミントン男子シングルスで桃田は優勝を果たす 【写真は共同】

「震災が起きたのは、一人でインドネシア合宿に行っているときでした。練習中でしたけど、日本で大きな地震が起きたというのを知って、ニュースを見ました。現地の言葉なので、よく分かりませんでしたが、仙台空港が被災した映像が出てきて、福島も危ないんじゃないかと思って監督たちに電話をしたのですが、まったく連絡が取れませんでした。帰国前にようやく大堀均先生(現・トナミ運輸女子コーチ)と話ができたのですが、今は練習をできるような状況じゃないから、一度地元に帰って、活動を再開できるようになるのを待ってくれと言われて、地元の香川に帰りました」

 当時16歳の桃田は、一人海外に身を置いた状況で震災の報を聞き、混乱と不安を感じていた。

 バドミントン部は、猪苗代町に拠点を移して活動を再開。震災前とは環境が変わり、転校した選手もいたが、桃田はチームに残った。変化にくじけず、成長を続けた。高校3年時にはインターハイで日本一、また国際舞台でも世界ジュニア選手権で日本勢初の優勝を飾るなど成果を出した。

 震災が起きた日に福島にはいなかったが、その衝撃と影響の大きさは、身を持って知っている。2016年2月、桃田は、震災以来足を踏み入れることができていなかった富岡高校(休校)の校舎を訪れた。

「いつも練習していた体育館の蛍光灯が全部落ちて、照明のガラスも割れていました。教室も、机や椅子が倒れて教科書が散らばっていて、廊下は足の踏み場がないくらい。そこだけ時間が止まっているような感じでした」

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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