「五輪」に振り回されるアスリート スポーツクライミング野中が達した境地

平野貴也

代表選考の解釈をめぐる問題、そしてコロナ禍による東京五輪の開催延期……スポーツクライミング日本代表の野中は、「五輪」に束縛された1年をどう感じて過ごしていたのか 【写真提供:株式会社イレブン・マネジメント】

 東京五輪という大舞台は、良くも悪くも、大きな渦のような存在だ。アスリートは、開催が決まった約8年前から、その舞台で輝くことを強く期待されている。しかし、コロナ禍の現在では、目指す舞台を中止すべきなのかを考えたり、開催されるか不安な中で練習したりと複雑な状況にいる。

 そんな中、スポーツクライミング日本代表の野中生萌(XFLAG)は「もう、うまく対処できるようになったかなと思います。一時、自分が五輪にすごく縛られている感覚がありましたけど」と話した。五輪という大きな渦との付き合い方に折り合いをつけられるようになったというのだ。

 幼少期から取り組んできたスポーツクライミングが東京大会で五輪に初採用されると決まったときから周囲の熱気に感化され、大舞台を目指してきた。しかし、代表選考基準の解釈をめぐる問題により、スポーツ仲裁裁判所(CAS)の判断を経て出場権確定まで1年以上も宙に浮いた状態にさせられる(※後述)など、振り回された一面もある。

 五輪採用で一変した競技環境や、選考基準をめぐる混乱の中で、何をどう感じ、考えるようになったのか、話を聞いた(以下、カッコ内は野中のコメント)。

「五輪という舞台の大きさを感じた」

「スポーツクライミングが五輪に採用された影響は、すごいですよ、本当に。(メディア露出も増えて)クライミングをやっていますと話したときに『あっ、壁を登るやつですよね?』と伝わるようになっただけでも驚くほどの変化ですが、私が7、8歳で競技を始めたときには同い年の子なんていなかったのに、今はジムにキッズスクールがたくさんあります。大会でも、私がワールドカップに出場し始めた頃は20代半ばの選手が多かったですけど、今は10代の選手がすごく多い。(2016年に)東京五輪での採用が決まってから、数年で競技環境は大きく変わったと感じています」

 五輪に関わることで大きく変わったのは、周辺の環境だけではなかった。野中自身も多くの人のエネルギーが集まる五輪という舞台に感化されていった。

「ずっと五輪に採用されている競技は、それが当たり前の環境にあると思いますが、まったく関係ないところから(五輪に関わる)可能性が出てきたときに、一気に、こんなに……と驚くくらい、周りの熱気をすごく感じました。当初は『五輪なんて』と思っていました。元々、大会の結果を気にせず、私のクライミングのスタイルが一番だと見せられればいいという考えでしたから。それが、レベルの高さや強さを分かりやすく示すために大会の結果が必要だと考えるようになっていったのですが、そんなときに、周囲の熱気や環境の変化から、五輪という舞台の大きさを感じ始めて、そこでパフォーマンスをしたいと思うようになりました。今では、五輪はすごいと思うし、出たいと強く思っています。でも、どんどん、五輪に近づいていく中で、やっぱりそっちばかりにならない方がいいなと思うときもありました」

1年以上、決まらなかった五輪内定

ようやく日本代表に内定した野中だが、素直に喜べなかったという 【写真:松尾/アフロスポーツ】

 五輪の熱気に引き付けられるようになった野中が、原点回帰をするように競技を見つめ直したのは、長いトンネルの中にいた時期だ。

 2019年世界選手権で日本勢2番手の5位となった後に問題が起きた。東京五輪出場選手の決定方法は、日本山岳・スポーツクライミング協会(JMSCA)が定めた規定では、2019年世界選手権7位以内で日本勢最上位が代表に内定。ほかは、国際大会で出場枠を獲得した選手を対象に、2020年5月に開催予定だったコンバインドジャパンカップの結果で選出するというものだったが、国際スポーツクライミング連盟(IFSC)は世界選手権で出場枠を得た日本勢上位2位が出場権を獲得するとの見解を発表。JMSCAは、IFSCが選考基準の解釈を変更したと主張して2019年11月にCASに提訴した。

 結果が出たのは、コロナ禍による五輪延期などもあり、1年以上が経過した2020年12月。JMSCAの提訴は棄却され、臨むはずだったコンバインドジャパンカップは最終選考会ではなくなり、野中は、五輪出場が内定した。

「日本のルールでは(世界選手権の)最上位1名のみが代表内定だったのに、海外の選手からは『おめでとう』と言われて、混乱しました。長く待たされて、20年12月に、選考対象の選手全員が参加しているオンラインミーティングの場で(CAS裁定の)結果を発表されたのですが、出場権が得られなくなった選手もいたので、思い切りは喜べませんでした……。そこにいたメンバーと、この話はしにくい。本来なら起こらずに済む問題だったと思うと、納得いかない気持ちはあります」

 五輪の熱気に引き付けられ、目指してきたからこそ、本来なら出場内定は大きな喜びだ。しかし、長く振り回された。しかも、出場が内定してもまだ、五輪の開催自体がコロナ禍で不安視されている。五輪に関わる大きなエネルギーを良くも悪くも感じる中、1年以上も裁定結果を待つ身となって感じたのは、五輪による束縛だった。

「裁定の結果は絶対に気になる。それでも(最終選考会とされていた2020年5月の)大会に向けて頑張っていましたけど、その大会もなくなるという状況になって、あまりにも自分の思い通りにいかず、五輪に縛られている感じがありました。

 CASの問題などで心が揺さぶられやすい状況のときに、もう五輪しかないかのような周りの熱が、なんか違うなと。五輪がなくても、クライミングの良さは、なくならない。競技ではなくて実際の山や岩を登って、それぞれのスタイルを見せるというクライミングもあります。スキーやスノーボードのパフォーマンスでも同じようなものがありますよね。そういうクライミングの素晴らしさを感じていたのに、五輪にはないクライミングを忘れてしまいそうなときがありました。

 コロナ禍で結果的に自分の時間ができて、そこで我に返りました。ただ五輪で勝ちたいとだけ思って練習をしていると、自分のやりたいクライミングをやっていない、楽しくないと感じるようになりました。そんな感情じゃ強くなれないとも思うし、もっと自分のクライミングを大切にした方がいいなとあらためて思うようになりました。昨年の夏に、そう思って、自分のクライミング、自分のスタイルというものにマインドをセットしたら、同じ練習メニューなのに、それだけでリフレッシュしていました。今日、この体調なら、この感じで……と、ジムや外の岩場に行って、そこで感じる感覚を大事にして、楽しんでクライミングをするようにしていたんです」

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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