
1996年はスーパールーキー田臥勇太(宇都宮ブレックス)が入学した能代工(秋田)がインターハイ、国体、ウインターカップを制し、5年ぶり7回目となる3冠を遂げた年であり、同時に東北から一人のスターが誕生した年でもある。その名は渡邉拓馬。ウインターカップでは平均35.6得点をたたき出し、福島工を初の準優勝へと導いたエースだ。
今回のインタビューにおいて渡邉は「今振り返ってもすごい大会」「いろんなことが起きて不思議な感覚の中でやっていた」という言葉を連発するほど、自身のバスケ人生を変えた大会だったことを強調していた。決勝のテレビ放映が夕方だったこともあり、「いまだに初めて会った人から『あの決勝を見てました』と言われることがあります」と明かす。
1996年大会はベスト4のうち3校が東北勢で占め、しかも公立高が競い合っていた時代(1位能代工、2位福島工、3位仙台)。東北の公立高から一躍スターへの階段をのぼった渡邉拓馬に1996年のウインターカップと決勝を振り返ってもらった。
全部の運が転がってくる感覚があった
高校3年生のウインターカップは僕のバスケットボール人生の転機になった大会でした。今振り返ってみても、僕の“すべて”と言えるような大会であり、決勝でした。
この年、福島工はダークホースとして注目されていたのですが、インターハイでは2回戦(初戦)敗退。ミニ国体(東北国体予選)でも負けて国体を逃してしまったので、ウインターカップにすべてを懸けていました。それに僕自身は9月のアジアジュニア(U18アジア選手権)で3位になって得点王とベスト5を受賞し、その自信と意地がありました。僕らの代には林恒太というセンスあるキャプテンがいて、ガードには点が取れる黒須秀明や、控えの1年には竜三(安斎、宇都宮ブレックスHC)もいて層の厚いチームだったので、「やってやろう!」という気持ちで臨みました。
ただ、僕らが準優勝すると思っていた人はいなかったんじゃないですか。やっている僕らですら『不思議な感覚』の中で試合をしていた大会でしたから。インターハイの悔しい思いやジュニアでの自信とか、いろんな思いがかみ合ったのは事実ですが、自分であって自分ではないような、自分やチームが持っている力以上のものが出たと言うか、全部の運が転がってくる感覚がありました。
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