【水戸】私の「ミッション・ビジョン・バリュー」 第6回河野諒祐選手「折れない精神で這い上がり続ける」

水戸ホーリーホック
チーム・協会

【©MITOHOLLYHOCK】

水戸ホーリーホックでは、プロサッカークラブとして初めての試みとなるプロ選手を対象とした「社会に貢献する人材育成」「人間的成長のサポート」「プロアスリートの価値向上」
を目的とするプロジェクト「Make Value Project」を実施しています。

多様性と交流を基盤に、様々な業種の講師を招聘し、異業種の方々の価値観や使命感に触れることで、プロアスリートとしての存在意義や社会的な存在価値を選手たちに問い続けます。

その一環として、キャリアコーチと選手が継続的に面談をして「ミッション」「ビジョン」「バリュー」の策定をする取り組みが昨年から行われています。

ミッション・・・社会の中での自分の役割
ビジョン・・・ミッションを実現した理想の未来像
バリュー・・・日々のこだわり、行動指針

原体験を振り返り、自らのサッカー選手であるうえのスタンスや価値観、使命感を見つめなおすことでピッチ内外でのパフォーマンス、言動、行動の質の向上につなげていこうという取り組みです。

17名の選手・スタッフの今季策定した「ミッション」「ビジョン」「バリュー」を紹介していきます。
第6回目は河野諒祐選手です。


(取材・構成 佐藤拓也)

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Q.MVV作成にあたって、スタンス面談を行ったと思います。どのぐらい行いましたか?
「1回1時間ぐらいかけて、合計4回行いました。これまでのサッカー人生を振り返りながら、いろいろ話をしました」

Q.これまで人生を振り返る機会はありましたか?
「なかったです。なので、最初は思い出せない部分も多かったですし、忘れてしまっていたこともたくさんありました。面談をしながら、記憶を掘り起こしていった感じでした」

Q.思い出してみて、いかがでしたか?
「心の中の整理ができましたね。自分がなぜサッカーをしているのか、どういうことに喜びを感じているのかについて、今まで漠然としていたことが明確になりました」

Mission 【©MITOHOLLYHOCK】

Q.「Mission」では「上を目指して頑張るサッカー選手の活力、希望になること」と書いてあります。どういった思いでしょうか?
「僕がJFLのカテゴリーにいる時、昨季まで水戸に在籍していた浜崎拓磨選手(仙台)も同じカテゴリーでプレーしていました。浜崎選手はJFLからJ2の水戸に移籍したんです。浜崎選手とは面識はなかったのですが、自分にとってすごく大きな出来事でした。上のカテゴリーを目指していたけど、『本当に行けるかな』と半信半疑な部分があったんです。なので、JFLにいても、Jリーグに移籍する可能性があるんだという希望を与えてもらいました。その時の感情はすごくよく覚えています。それから、自分も一つずつカテゴリーをステップアップしていって、今J2でプレーしているのですが、浜崎選手が僕に希望を抱かせてくれたように、僕も下のカテゴリーでプレーしている選手に希望を与えられるような存在になりたいなという思いがあって、この言葉になりました」

Q.J1の湘南からJ3の福島へ行き、それからJFLのヴェルスパ大分へと移籍しました。JFLのチームに行くときの心境はどうでしたか?
「『ここから這い上がる』と『とにかくサッカーができるチームに行く』という両方の思いがありました。この時は他に行けるチームがなく、選択肢がなかったんです。でも、そこから這い上がろうという気持ちも強く持っていました」

Q.チームメイトも『ここから這い上がろう』というモチベーションだったのでしょうか?
「本気で上を目指している選手は多くなかったという印象です。仕事をしながらサッカーをしていたので、それなりに生活もできるので、その環境に落ち着いている選手もいました。人によって温度差はあったと思います」

Q.河野選手はその環境でずっと「這い上がる」というモチベーションを保てたのでしょうか?
「保ててはいたのですが、その環境に慣れそうな自分がいたので、3年在籍してチームから離れることを決断しました。元々JFLでプレーするのは大卒1年目の年齢までにしようと決めていたんです。それに加えて、その環境に慣れてしまっている自分にも気づいて、やめることにしました」

Q.移籍先は決まっていなかった?
「練習参加やセレクションを受けることは決めていましたが、移籍先は決まっていませんでした」

Q.「サッカーを続ける」のではなく、「上に行く」という気持ちが強かった?
「その気持ちがぶれることはありませんでした。そこでダメならしょうがないと思っていました。チャレンジするタイミングだと思ったので、迷わず決めることができました」

Q.そして、J3のY.S.C.C横浜に加入しました。Y.S.C.C.横浜ではアルバイトしながらプレーしていたそうですが。
「生活はむしろ、大分時代の方が楽でした。苦しかったですけど、その時はカテゴリーを上げることに意義があると思ったので、高いモチベーションでプレーできていました。やはりJ3だと、見てくれる人の数が全然違いました。DAZNでも中継してくれますし、上のカテゴリーの強化部の人が見てくれていることもモチベーションになっていました。そこの変化が一番大きかったですね」

Q.実際、今年はJ2に上がってきました。大分時代の決断が今につながっていますね。
「人生のターニングポイントだったと思います。その決断ができたのは大きかったと思います」

Vision 【©MITOHOLLYHOCK】

Q.「Vision」は「『自分の可能性を信じる』人を増やし、明るく活気に溢れる世の中を創る」とあります。
「今までこの言葉を意識してきたわけではないのですが、自分のサッカー人生を振り返ると、這い上がってきたという背景があり、そこから何を伝えられるかを考えたんです。自分の場合、自分の可能性を信じて、一つずつ這い上がってくることができました。その大切さをサッカーにとどまらず、多くの人に伝えていきたいという思いで、この言葉になりました」

Q.思い通りにいかない時にどのようにどう思うかによって状況は変わると思います。そこで自分にベクトルを向けて、ポジティブに考えることが大事だということですよね。
「JFLでプレーしている時、上を目指すことがすべてではないと思いますが、それでも能力の高い選手が多かったので、そういう選手がもっと自分の可能性を信じて取り組むことによって、リーグ全体がさらに活気づくと思っていました。そういう思いを込めて“活気”という言葉を使いました」

Q.水戸は一人ひとりが成長しようというモチベーションを高く持っているので、すごく活気があるように感じます。
「それは僕もすごく感じています。みんな、ギラギラしているし、野心に溢れている選手が多い。それは水戸のいいところだと思います」

Value 【©MITOHOLLYHOCK】

Q.「Value」について聞かせてください。「継続すること」とは?
「今まで努力を継続してきたので、それが一番大事なことだと思っています。自分が身をもって体験して、大事だと感じることができたことですね」

Q.「目標を言葉にする」とは?
「昨年ずっと『上のカテゴリーでプレーしたい』と言っていました。口にすることによって、応援してくれる人や協力してくれる人も増えるんですよね。自分に言い聞かせる効果もあると思いますし、周りを巻き込む効果もある。言葉にして発信することが力になるということをすごく感じたので、今も大事にしています」

Q.「常に上を見続けること」は今まで話をしたことだと思います。JFLからJ2に上がってきて、ここからさらに上を目指して取り組むということだと思います。この環境に満足するわけにはいきませんね。
「確かに今年から環境が大きく変わって、この環境に慣れてしまいそうな自分がいるのも事実です。なので、上を目指すことを思い出しながら取り組むようにしています。そのためにも言葉で発することが大事だと思っています」

Q.「まわりに流されない」はまさにJFL時代の決断の時ですね。
「そうですね。JFL時代にこのことをすごく感じました。先ほども話しましたが、意識に温度差があったので、低い意識に流されないように取り組んでいました。そのためにも、自分の目標を見失わないようにすることが大事だと思います」

Q.強い自分を持っていることが河野選手の「Value」ですね。
「そうだと思います。結局、自分がどうしたいかがすべてだと思います。目標をしっかり持って、必要なことに取り組んできました」

スローガン 【©MITOHOLLYHOCK】

Q.スローガンは「折れない精神で這い上がり続ける」。これは河野選手の人生そのものですね。
「今までの人生において、折れるタイミングはいくらでもありました。その中でも目標をぶらさずに持ち続けたことによって、這い上がってくることができました。まだまだ満足はしていませんが、ここからさらに上を見ているので、『這い上がり続ける』という言葉を選びました」

Q.「折れない強さ」が河野選手の強さですね。
「打たれ強くはなっています。水戸に来た当初、試合に出られず苦しい状況が続きましたが、折れずにサッカーに打ち込むことができていました。弱い自分が出てくることもありましたが、それでも自分を信じて乗り越えることができました」

Q.今季、J2でのプレーとなりましたが、シーズン中盤以降、コンスタントに試合に出場できるようになっています。
「水戸に来て、最初の頃は周りのレベルについていくことができず、試合に出ることができなかったのですが、そこで折れることなく、頭で整理して取り組むことができていました。なので、腐ることなく継続はできていたと思います。あと、周りの手助けも大きかった。スタッフのみなさんの存在も大きいですし、水戸はいいベテランの選手が多くて、事あるごとにいろんなアドバイスをくれるんです。本当に多くの人に支えられているなと感じることができています」

Q.先ほど浜崎選手の名前が挙がりましたが、一緒にプレーした選手で影響を受けた選手はいますか?
「湘南時代、以前水戸でもプレーした岩尾憲選手(徳島)から影響を受けました。一緒にリハビリをする時間が長くて、岩尾選手も湘南時代はあまり試合に出られず苦しんでいたのですが、その頃からプロフェッショナルな意識の人でした。試合に出ていなくても、自分と向き合っていろんなことに取り組んでいました。今では徳島の中心選手。そういう姿がすごく印象に残っています。当時から『この人は絶対に成功する』と思って見ていたのですが、思った通り、すごい選手になっているので、刺激を受けますね」

Q.そして、浜崎選手は今年からJ1の仙台に移籍して、多くの試合で先発出場を果たしています。
「仙台のメンバー発表は常にチェックしています。スタメンの常連になっているので、スタメンに名を連ねているのを見るたびに刺激を受けています。実際試合を見ても、中心選手のような感じでプレーできている。すごいなと思っています」

Q.「次は俺だ」という思いが強いと思います。ただ、河野選手は元々J1でプレーしていて、JFLまでカテゴリーを下げることとなりました。そこから這い上がることは大変なことだと思います。河野選手の軌跡には浜崎選手とはまた違った価値があるように思います。
「自分のような選手は少ないと思うんですよ。下のカテゴリーから這い上がってくる選手は最近増えていると思いますけど、一度落ちてから上がることは一つの価値だと思うので、そこを示していきたいという気持ちはあります」

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著者プロフィール

Jリーグ所属の水戸ホーリーホックの公式アカウントです。 1994年にサッカークラブFC水戸として発足。1997年にプリマハムFC土浦と合併し、チーム名を水戸ホーリーホックと改称。2000年にJリーグ入会を果たした。ホーリーホックとは、英語で「葵」を意味。徳川御三家の一つである水戸藩の家紋(葵)から引用したもので、誰からも愛され親しまれ、そして強固な意志を持ったチームになることを目標にしている。

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