廣瀬俊朗コラム「廣瀬俊朗と菅平(二度と行くもんか!笑)」

RUGGERS(ラガーズ)
チーム・協会

【廣瀬俊朗】

RUGGERSオリジナルコラム

筆:廣瀬俊朗
1981年生まれ、大阪府吹田市出身
元ラグビー日本代表キャプテン
株式会社HiRAKU 代表取締役
NPO法人 Doooooooo 理事

〜廣瀬俊朗と菅平(二度と行くもんか!笑)〜

 私自身が、最初に菅平に訪れたのは高校生の時である。北野高校は当時あまり強くなかったので、あまり他の学校から知られていなかった。道ですれ違っても誰にも相手にされなかった。我々は地道に練習をしてチームを作っていった。練習の合間に実施した関東のチームとの練習試合では、標準語で監督が怒っているのを聞いて、なんか気合が入らなくて、こっちまで気が抜けたこともあったと、書きながら思い出した。
 高校3年生になると、高校日本代表の夏合宿に呼んでもらえた。実際に呼ばれたとわかった時はめちゃくちゃ嬉しかった。顧問の先生とその喜びを分かち合えたことは今でも覚えている。大阪から菅平は遠いし、合宿でのコンディションが大事ということから、一人だけ合宿前日から宿舎に泊まることにした。自分の想いと良い準備を体現するということができて良かったと思う。当時高校日本代表の監督であった野上友一先生にそのことを褒めていただけて誇らしかったことを覚えている。実際に合宿が始まると、緊張感もあったけど、自分らしく積極的なプレーができた。大阪で培ってきたものは全国で通用する!と思って、一安心であった。ホテルの部屋では秋田から来た人間もいて、地域による違いなども見えてきて楽しかった。結局その年の高校日本代表の主将として遠征に行くことになったが、この時の自分自身の姿勢が監督に響いたのではないか。普段からの心がけと実行の積み重ねが良い流れを作った。

 大学生になると菅平は、試合で4、5日だけ滞在した。慶應大学ラグビー部のメインの合宿地は山中湖。上位30人ぐらいに選ばれると、山中湖を抜け出して菅平に行けるということで皆必死だった。菅平に行くと気分も変わるし、練習もきつくない。ということで少しばかりのリフレッシュに繋がった。そんな状況でも、若い時はレギュラー争いの真っ最中。練習試合にかける思いは強かった。

 社会人になって、しばらく菅平は遠のいた。社会人の夏合宿は網走が主流になっていた。東芝は自社のお客さんの関係から11月のウインドウマンス(注1)には鹿児島合宿をしていた。
 ところが、2012年にエディジョーンズが日本代表の監督になってから様子が変わった。春・夏の合宿に菅平を使うようになった。高地で集中して良いトレーニングができるだけでなく、日本ラグビーにおける大事な場所とエディさんが考えた上での選択だったようだ。めちゃくちゃハードなスケジュールで、最初はどうなるのかと思った。徐々にこちらも適応できて、強いチームになっていった。もう二度とあの当時の雰囲気の中での試合はしたくないと今でも思う。菅平名物である「二度と来るもんか!」というTシャツはまさにその通りで、もう行きたくない!と思わせるような場所である。でも、実はきついだけでなく、お互いのことを知れたり、チームとしての絆が深まったりと懐かしい思い出もあるのだ。菅平を経験した者にとって、菅平はそんな青春の場所だったから、今回のクラウドファンディングでもものすごい支援が届いたのではないかと思う。
 
(注1)ウインドウマンス
毎年6月と11月、国代表のテストマッチを行う期間。
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著者プロフィール

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