競技歴4年でサクラセブンズの中心に 大竹風美子はプロラグビー選手を目指す

斉藤健仁

ナイジェリア人の父と、日本人の母を持つ大竹。身体能力の高さが武器で、日本代表の中心的な存在になりつつある 【スポーツナビ】

 8月に入り、やっと2021年に延期された東京五輪に向けて再始動した「サクラセブンズ」こと女子7人制ラグビー(セブンズ)日本代表。代表候補選手の中で、3年前の高校3年生の1月、陸上からラグビーに転向し、直後に強化合宿に招集されたシンデレラガールがいる。現在は日本体育大(日体大)4年の大竹風美子だ。

 大竹はナイジェリア人の父と日本人の母を持つ。小さい頃から高校までは陸上選手で、中学時代は同い年のサニブラウン・ハキームとともに100メートル、200メートルの東京王者に輝き、全国高校総体(インターハイ)では3年時に七種競技で6位に入った。その身体能力の高さと体の強さに加え、50メートル6秒7の速さを武器に、すでにチーム内でも中心的な選手になりつつある。大竹に東京五輪への思いと、卒業後のキャリアについて聞いた。

ラグビーを始めたきっかけは「バスケットボールの授業」

「バスケットボールの授業」をきっかけにラグビーを始めた大竹(右)。 【斉藤健仁】

 16年リオデジャネイロ五輪の4×100メートルリレーで銀メダルに輝いた、ケンブリッジ飛鳥の母校でもある陸上の名門・東京高校に通っていた大竹。その東京高校は偶然にも、全国高校ラグビー(花園)13回の出場を誇るラグビー部の強豪校でもあった。

 大竹に転機が訪れたのは高校3年の5月、バスケットボールの授業中だった。パスをもらった大竹は「無意識にボールをドリブルしないで、走ってしまいました!」。ラグビーの起源とされる「ウェッブ・エリス伝説」を彷彿(ほうふつ)させる逸話だが、うそのような本当の話である。

 たまたま授業を担当していたのが、ラグビー部の戸田竜司コーチであり、大竹は授業後に体育教官室に呼ばれ、「いいものを持っている。ラグビーをやってみないか?」と誘われた。それ以前から、ラグビー部の森秀胤監督から「大竹はラグビーに向いている」と言われ続けていたという。

 当初は「冗談かな」と思っていた大竹だが、「集団スポーツの方が向いているかもしれないし、大学では他のことをやってみようかな……」と思い始めていた時期とも重なった。そしてインターハイ直後の16年8月、リオデジャネイロ五輪で男子セブンズ日本代表が4位入賞した勇姿をテレビで目にした。

 大竹は「インターハイの七種競技で目標としていた5000点を超えることができたし、陸上をやり切った。ラグビー、めちゃくちゃ面白そう!」と感じ、テレビだけでは物足りず、インターネットでも何度も見て「大学ではラグビーをやってみよう」と決意する。日体大出身である森監督から日体大ラグビー部の米地徹部長を紹介されて、秋にはスポーツ推薦で合格を決めた。

 女子ラグビー界で「面白い子がいる」とうわさになっていたこともあり、大竹はユース世代の強化合宿での測定会への参加を経て、ラグビー経験ゼロで代表強化合宿に初招集されると、翌年には代表デビューを飾った。「サクラセブンズは思い入れのある、自分の居場所」と胸を張るように、3年半のラグビー歴と日本代表歴がほぼ重なっている。

突然の東京五輪延期は「どうしてもネガティブに……」

東京五輪延期のニュースは、国際大会に向けての合宿中に聞いた 【斉藤健仁】

 そんな中、知らせは突然だった。

 本来なら東京五輪開幕まであと4カ月に迫っていた今年の3月、サクラセブンズは南アフリカで開催される予定だった国際大会に向けて合宿を行っていた。その最中に、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、国際大会の延期だけでなく、東京オリンピックの1年延期が決まった。

「きついことも多いですし、アスリートにとって1年は短いようで長い」と感じていた大竹は「しょうがないことですし、仕方がないことでしたが、最初はまさか……と口がふさがりませんでした。精神的に嫌だ、悔しいとどうしてもネガティブに考えてしまった」という。

 男子セブンズや他の競技の選手の中には1、2日でメンタルを切り替えて1年後に目標を再設定する選手がいる中で、大竹は少々違った。東京出身ということもあり「何が何でも出たい。東京五輪に変わるものはない」と、全てをかけて臨むつもりでいた。4月に自粛期間に入ると同時に大学の寮から実家に戻った大竹は「最初はぼーっとしてしまいましたね」と振り返る。

 チームから提示されたトレーニングメニューをなんとかこなしていたが、実家の近くの陸上競技場も6月上旬まで閉鎖されており、走ることもままならなかった。落ち込んでいた大竹だったが、4人姉妹(大竹は上から2番目)という賑やかな家族に囲まれて、両親からダンベルやエアロバイクを買ってもらい、「大きな支えになりましたね」とようやく笑顔を見せた。

 また、サクラセブンズのLINEグループではラグビーの話だけでなく、「自粛期間中にはまっているもの」や趣味の話で盛り上がった。オリンピックの開催は1年伸びたが、それでも「やることは変わらない」と、チームで意思統一し、大竹個人としても2カ月ほどかけて徐々に大会延期を受け入れることができるようになった。今では「ラグビーを始めてからの3年間、ケガしていた時期もあったし、ラグビー歴が少ない自分にとってはプラスになる」と、前向きに捉えることができるようになった。

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著者プロフィール

スポーツライター。1975年生まれ、千葉県柏市育ち。ラグビーとサッカーを中心に執筆。エディー・ジャパンのテストマッチ全試合を現地で取材!ラグビー専門WEBマガジン「Rugby Japan 365」、「高校生スポーツ」の記者も務める。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。「ラグビー「観戦力」が高まる」(東邦出版)、「田中史朗と堀江翔太が日本代表に欠かせない本当の理由」(ガイドワークス)、「ラグビーは頭脳が9割」(東邦出版)、「エディー・ジョーンズ4年間の軌跡―」(ベースボール・マガジン社)、「高校ラグビーは頭脳が9割」(東邦出版)、「ラグビー語辞典」(誠文堂新光社)、「はじめてでもよく分かるラグビー観戦入門」(海竜社)など著書多数。

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