村井チェアマンが明かす横断幕禁止の裏側「サポーターの思いは100%正しい」

飯尾篤史

「サッカー文化を守る」は優先順位の2番目

【写真は共同】

――リーグ再開に向けた焦点のひとつが、選手全員に対してPCR検査をするか否か、だったと思います。ヨーロッパではPCR検査を行ったうえでリーグを再開した。一方で日本では、症状の出ている一般の国民すら検査を受けられない状況でした。それなのに、スポーツ選手が優先的に検査を受けて興行を再開するのか、という意見もあったと思うんです。

 はい。ありましたね。

――そのときの葛藤や議論、調整について聞かせてください。

 ブンデスリーガが1週間に2回のPCR検査をするとか、Kリーグが再開する際にPCR検査を実施したとか、海外から続々と情報が入ってきました。国内では、選手の方から不安視する声が聞こえてきました。

――リスクがあるなかで試合をするのは怖い、という意見がありましたよね。

 そうした情報の一方で、専門家の方々の話をうかがうと、医療現場で看護に携わる人でさえも検査が受けられない状況だと。ですから、検査体制を敷くのは、現状では難しいと考えていました。この議論においては、「国民の健康を第一に考える」ということがプライオリティーの最上位。「サッカー文化を守る」ということを2番目に置きました。3番目は「サポーターとともに」ということなんですが、Jリーグの理念の中に「豊かなスポーツ文化の振興と国民の心身の健全な発達への寄与」と書かれているんですね。「国民の」とあるんです。その国民が検査を受けられない状況で、Jリーグを再開するのはダメだと言い聞かせていました。

 それが5月22日、感染症の専門家とJリーグ、NPB(日本野球機構)の会議において、流れが変わったんです。「スポーツ選手も検査を受けてから、試合再開に向かうのが望ましい」という話になった。ひとつは、1試合で12〜13キロ走ったりすると、免疫力がものすごく低下し、強靭(きょうじん)なフィジカルを持つ選手でさえも、感染症に感染するリスクがあるという新たな知見が出てきたこと。

 もうひとつは、それまでは鼻腔からDNAを採取する検査方式だったのですが、唾液による検体採取の方法が認められる流れになったこと。鼻腔からの検査の場合は、医療の専門家にお願いしないと検体がうまく採取できないんですけれど、唾液の場合は、より安全で簡単に採取できる。さらに保険適用となる可能性もあると。そうなると、検査の供給のリソースが確保できるんじゃないかと。そうした話が5月22日にあって、そこからの1週間は本当に激動でしたが、サッカー選手のPCR検査の供給体制を確保する見通しがなんとか立った。

 こうして5月29日、検査をする前提でJリーグを再開すると発表したわけです。ただ、もしホームタウンで検査が受けたくても受けられない方がいたら、我々の検査をやめて、我々が持っているリソースを開放しようと。ですから、大事に思うプライオリティーを変えずに、検査が提供できるという状況まで来たわけです。

横断幕、マスコットは文化の領域だが…

横断幕禁止に至るまで、何度も議論が行われた。村井チェアマンは最後まで掲出の可能性を探った 【写真:川窪隆一/アフロスポーツ】

――リモートマッチにおける問題のひとつとして、浦和レッズがサポーターの横断幕の掲出禁止に反対を表明しました。のちに浦和も理解を示しましたが、あらためて横断幕を出せない理由と、チェアマンのお考えを聞かせてください。

 まず、スタジアムに行けないのであれば、自分たちが大事にしている応援フラッグをスタンドに掲げて一緒に戦いたいと思うサポーターの気持ちには、100%アグリーです。そうしたサポーターの思いと、クラブの運営側スタッフの立場や置かれている状況が今回はねじれる状態にありました。

 4カ月の中断を経て、リモートマッチとしてリーグが再開するにあたり、クラブの運営スタッフは今まででは考えられないような対応を迫られていました。3,600人にわたるPCR検査を行って試合に臨む。リモートマッチと言っても、選手、クラブスタッフ、レフェリー、ドクター、メディア関係者など100人近くがスタジアムに集まるわけです。今回のガイドラインでは「ピッチサイドレベル」「諸室レベル」「外構レベル」とスタジアムを3層に分けているんですが、そこに今までとは違う神経を集中させて対応しなければいけない。

 運営担当者会議というものがあって、私は出席していないのですが、そこで「フラッグはいいじゃないか」「いや、この状況では勘弁してほしい」という議論が3回くらい行われたそうです。最終的に「サポーターの思いは分かるけれど、リモートマッチは感染者を出さないことに集中するために、クラブ運営側の立場を考えてご容赦いただこう」という結論になったと報告を受けました。

 でも、私自身も「それはおかしい。サポーターの思いは100%正しい」と感じたので、もう一回蒸し返して、今度は実行委員会という、各クラブの社長が出席する会議で議論したんです。けれども、クラブサイドの意見を聞くと、たしかに想像を絶するような対応に追われることになる。「クラブ個々の判断で、やれるクラブはやればいいじゃないか」という意見も出たんですけど、やれないクラブのサポーターが「なぜ、あそこはやれるのに、うちはやれないのか」という気持ちになって、そうした対応にクラブが追われることになったら本末転倒だと。悲鳴に近いような声もあり、最終的には、リモートマッチにおいては、サポーターにご理解いただこうということになったんです。

 もちろん、最終的に決断したのは私です。サポーターの皆さんには不自由な思いをさせてしまって本当に申し訳ないと思っています。7月10日以降は、お客様が少しずつスタジアムに入れるようになりますので、そのときには、来られないサポーターの方々の思いも寄せて、フラッグを掲出してください。

 もし、第2波、第3波が来たら、再びリモートマッチに戻ってしまうかもしれませんが、その場合でも今回とは異なるリモートマッチになるように、運営サイドと協議していきたいと思っています。今回のケースは、私がサポーターだったら納得しないだろうな、と思います。ただ、こうした状況下でリーグ再開を迎えるために、クラブも想像を絶するような対応に追われていることを、ぜひご理解いただきたいと思います。

――クラブのマスコットに関しても、リモートマッチ下では来場できません。ただ、マスコットの位置付けは、クラブによって大きく異なります。初めからスタジアムに入れていないクラブもあれば、横浜F・マリノスのようにチームの一員として捉えて、マリノス君の通算450試合達成を祝ったクラブもあります。

 Jリーグ開幕の頃から続いているそうですね。

――そうしたクラブにとって、マスコットは相当プライオリティーが高いと思います。もちろん、先ほどの横断幕の件と同様、クラブスタッフの負担や健康、安全を考慮してのことだと思いますが、マスコットの来場不可については、あらためてどう考えていらっしゃいますか?

 突き詰めると文化の領域ですよね。アニメーションに匹敵するくらい、スポーツにおけるマスコットというのは、日本が世界に誇る文化の象徴のようなもの。文化というのは、ルールで縛ったり、規則で命令したりするものではありませんよね。個々の主観が長い年月、集合したものを僕は文化と考えています。例えば、歌舞伎も400年くらい前は、先々どうなるか誰も分からなかった。でも長い年月、「いいね」というボタンを多くの人が押し続けたので、文化として定着したわけです。政府が、為政者が命令したりするものではなかった。

 先ほどのサポーターのフラッグの話も、このマスコットの話も、文化の領域ですので、本来はリーグが「あれしろ、こうしろ」と規制すべきものではないと思っています。けれども、そういうものも含めて、例外を適用せざるを得ないのが今回の新型コロナウイルス禍。「あなたのリスクだから、あなたがリスクを取ってください」と簡単に言える話ではないですからね。

 専門家の正式なエビデンスが取れない状況で、それを無理強いすることは、責任者としては無責任だと考えざるを得ない。文化に踏み込むことは相当慎重でなければいけないと考えているなかで、今回は専門家の意見を踏まえ、ガイドラインに含めている。そういう風にご理解いただければと思います。

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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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