価値あるメダルを求めて――テコンドー・鈴木兄弟が見せたい2つの姿

平野貴也

自粛期間は兄弟2人で協力

家族の支えもあって、東京五輪のテコンドー日本代表に内定した、兄の鈴木セルヒオ(左から3人目)と弟のリカルド(同2人目) 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

「テコンドー」と言えば、昨年後半に起きた協会と選手の衝突が印象に強いが、2019年12月に協会の理事が新体制に刷新され、今年2月には開催国枠で東京五輪に出場する日本代表4選手が決定。男子は、58キロ級の鈴木セルヒオ(東京書籍)、68キロ級の鈴木リカルド(大東文化大)が兄弟で五輪の大舞台に挑む。

 兄のセルヒオが5歳のときに、一家は母の祖国であるボリビアに移住。日本から見て地球の裏側にあたる南米で、2人はテコンドーを始めた。セルヒオは競技環境を求めて韓国、日本と海を渡り、ボリビアで生まれ育った弟のリカルドも後を追って日本へやって来た。2人は、ボリビア育ちの日本代表選手だ。

 気温が高くなり始めた6月上旬、オンラインで2人にインタビューを行った。新型コロナウイルスの影響で活動が制限される中、マンションの寝室にマットを敷いて筋力トレーニングを行ったり、近所の河原へ出て運動したり、たまにはゲームで遊んだりと、2人はともに暮らし、協力してきた。
 年齢的なものなのか、性格的なものなのか、五輪延期に対する2人の思いは、対照的。兄のセルヒオは「弟とは違って(25歳の)自分は、ラストチャンス。もう時間がないのに……という感覚で、なかなか気持ちを切り替えられませんでした。五輪が延期になったら代表選考もやり直しになるかもしれないとか、すごく不安な時期が続いていました」と精神的に負担を強いられたことを素直に明かした。

 一方、弟のリカルドは「不安はなく、時間ができたので、普段は(時間をかけては)できない基礎技術を磨いています」と前向き。もちろん、兄もずっとふさぎ込んでいるわけではない。春先からは有力選手の分析と対策を行い、少しずつ「21年の東京五輪」へ向き合い始めている。

ターニングポイントとなった兄の留学

練習に使用した自宅の一室でオンライン取材に応じた鈴木兄弟 【スポーツナビ】

 ボリビア育ちの2人が日の丸をつけて五輪に出ることは、決して当然のことではない。兄のセルヒオは「大学にチームがなく、進学して競技を続けるのは難しい。国際大会の出場もすべて実費」とボリビアの厳しい競技環境について教えてくれた。

 国のバックアップもない。弟のリカルドは、ボリビアから16年の世界ジュニア選手権(カナダ、バーナビー市)に出場した際、ともに参加する選手とともに、地元のお祭りでカレーやかき氷を販売して渡航経費をねん出した。ところが、国の協会がビザの取得を行ってくれず、日本国籍も持つリカルドは出場できたが、仲間は大会に出場することができず、集めた費用が台無しになったという。

 ボリビアで競技を続けるのは難しい。状況を打破するきっかけを作ったのは、ボリビアで日本食レストランを営む父の健二さんだった。

 セルヒオが競技を続けられる環境について、手探りで情報を収集。当時の日本代表選手がテコンドーの本場である韓国の高校へ留学していたという記事を見つけ、関係者に連絡を取るに至った。その伝手を頼って韓国の強豪校である漢城高校へ留学したセルヒオは、笑いながら当時を振り返る。

「すごい覚悟をして行ったというわけではなく、行ってみたら大変だったという感じ。韓流ドラマを見て、韓国の可愛い女の子と知り合うのが楽しみだなと思っていたら男子校。競技も、ボリビアでは天才だと思っていたのに、何一つ通用しませんでした」

 この留学が兄弟にとってのターニングポイントだった。国を出て高みを目指す兄の姿を見て、弟のリカルドも「僕は趣味でやっていたんですけど、セルヒオが夢や目標を持って韓国で頑張っている姿を見て、僕も本気でやろうという気になりました」と、後を追って17年12月に日本へとやって来た。

葛藤があった「日本代表」

一緒に住む2人は自粛期間、トレーニングや練習、生活など協力し合った 【写真:本人提供】

 ボリビアと日本、競技を続ける上では2つの選択肢を持てたことが救いになった。しかし、最初からすべてが希望で満ち溢れていたわけではない。兄のセルヒオは、自身の立場について悩んだ過去を明かした。

「小さい頃は、ボリビアでは日本人に見られ、日本ではボリビア人に見られるということがあったので、『自分は何者なんだろう?』という悩みを持っていました。でも、今は、自分はボリビア人でもあり、日本人でもあると考えているので、今は日本代表としてできることに誇りを持っています。日本だけでなく、ボリビアにも良い報告をしたい」

 弟のリカルドも「僕は、兄と違って生まれもボリビア。最初は、本当に日本代表になってもいいのかなと不安でした。でも、たくさんの人が認めてくれて、支えてくれているので、今は安心して戦えるという気持ちになっています」と話したように、時間をかけて少しずつ、周囲の協力を得ることで精神的な不安を取り除いてきた。

1/2ページ

著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント