Bリーグ新チェアマン島田慎二は何者か? 高校はサッカー部「選手権に出たかった」

大島和人

「社会に出たら絶対やってやる」

経営者としてジェッツを立て直し、クラブからは1億円プレーヤー(富樫勇樹=写真右)も誕生した 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

――大学は内部進学だったんですか?

 内部進学の試験には落ちたんです。日大の系列校は3年生の11月に「統一試験」があるんです。でもそのときは部活の真っただ中なので、勉強をしないで行ったので落っこちた。1月頭に高校選手権が終わって、そこから受験勉強を始めて、一般で受かったんです。そういう横道でした。

――島田さんの大学入学は1989年だから、まだ景気が良かった頃ですね。

 バブルの末期で、ジュリアナ時代ですからね。毎晩飲んでいました。東京に憧れていたんですよ。高校時代は激しく部活をやり過ぎたので、いろいろなことをやりたかった。アルバイトに明け暮れて、稼いだものを友達と飲んだり食べたり、そういうことをやっていましたね。

 アルバイトは何でもやりました。掃除とかビルのメンテナンスとか。コンビニから吉野家から、配送業者とか……。当時は仕事があったので、稼げるものは掛け持ちでやっていました。ただ東京への憧れで、長渕剛の『とんぼ』みたいな世界です。何をしたらいいのか分からずに来たので、バイトに明け暮れつつ悶々として……。モラトリアムですね。

 派手な店には行かず、新宿のゴールデン街とかで飲んでいました。役者とか作家と一緒にカウンターで飲んで、議論したり、政治の話をしたり、面倒くさい感じでやっていましたね。「何ごとかを成し遂げたい」と志を持って田舎から出てきて、でも何もなくて、悶々と飲みながら「何をするか?」みたいな話をしていました。いろいろあって芝居をやり始めたり、オーディションを受けたりしていました。

――劇団にも所属していたんですか?

 純粋な劇団に所属したのは「欽ちゃん劇団」しかないんです。風見しんごさんとか、見栄晴さんとかいて、オーディションに受かって1年くらいやっていました。でも子役からやっている人もいっぱいいて、私は新人。「無理だな」と感じて辞めました。舞台のトレーニング、稽古はしたけれど、テレビや映画に行き着く前に止めています。

――大学を出て旅行会社に就職されましたけれど、その時点で「将来はこれをやりたい」という思いはお持ちだったんですか?

 いろいろなところで話していますけれど、私は大橋巨泉さんをまねて、早めにリタイアしたかったんです。「30代で引退して一生遊んで暮らしたい」というのがその頃の大きな目標でした。じゃあその状態になるにはどうしたらいいの? といったら、社長になって当てなきゃいけません。当てるといっても訓練をしなければ無理だから、一回社会に出なければいけない。じゃあ就職しようか? というのが大学4年生時の発想でした。何の事業というアイデアはまだなかったけれど、早めに起業する前提で就職して、3年経って辞めて独立しました。

 高校時代もレギュラーになったとか試合で活躍したわけではないし、東京に来ても悶々としていた。ただ不完全燃焼だったからこそ「社会に出たら絶対やってやる」みたいな思いは余計に強かったですね。

bj、NBL、Bリーグをひととおり経験

――ジェッツの社長、Bリーグのバイスチェアマンや理事を務める中で、4シーズンをどうご覧になっていましたか?

 客観的にはいい成長を遂げてきていると思います。でももうちょっとやれたんじゃないか? みたいな部分も当然あります。NBLとbjを合算してもたかが知れている中で、ソフトバンクさんをはじめ多くのパートナーの皆様のご支援があったからこそいろいろな投資ができて、成長に拍車がかかりました。価値の低いときに大きな資金を使っていただいて、投資に回せた。しかしまだ何も成し遂げていないうちにそれをいただいて、どこかで腹落ちしていないところがあるかなと見ています。

 もう一回、自分たちの価値をしっかり上げていく、ベンチャーマインドを持ってやっていく……。そんな姿勢を持てるように締めないとダメだなとは、クラブ経営者としても、(バイスチェアマンとして)リーグに2年前に関わったときも感じていました。

――単刀直入に島田チェアマンの強みはなんですか?

 自分はクラブ経営者としてジェッツがつぶれそうなところから、成功して1億円プレーヤーを出すところまで経験しています。bj、NBL、Bリーグをひととおり経験しているのも私だけです。アドバイス、支援、M&Aで成長を加速させるプロセスも経験している。どのクラブと話をしても、それぞれのフェイズに当てはまります。

――新型コロナウイルス問題への対応についてはどうお考えですか?

 今はどちらかというと守らなければいけない部分があります。クラブを守り、かつ成長していくための支援を個人としてもリーグとしてもしていきたいですね。

 お客様にご入場いただく試合興行という形をとれなくても、試合実施ができれば映像の配信はできるし、さまざまなアプローチもできます。しかし試合ができないと、プロのクラブとして存続できません。10月に絶対に開幕をする、予定通りやるところは強く打ち出そうと考えています。開幕は8月くらいに判断するという話でしたけれど、状況は変わっている。社会情勢の変化や、第2波があってやむを得ないときは考えますけれど、基本「やる」という側で行きます。

 選手が安全にプレーできるように、PCR検査と抗体検査も含めて対応します。抗体検査はソフトバンクさんもやっているし、PCR検査はJリーグが先行してやっています。仕組みがかなり見えているので抗体とPCRを組み合わせて、選手に「こういう状況だったらやってもいい」と思われる体制をちゃんと作る。その上で段階を踏んで、お客さんが入れる状況を作る。当座はそこの仕組み作りに力を入れます。

――資金面の手当はいかがですか?

 今はクラブが経営的に苦しんでいるので、その手当を一瞬優先にします。投資の優先順位の見極めは必要ですけれど、Bリーグのコストを抑えて、配分金と別にクラブを助けていく資金に今季は当てるくらいのつもりでいます。借り入れはできても返さないといけないし、増資はできても経営権を握られますから。

 もちろん大きなスポンサーや投資家に対して価値を見いだしてもらわなければいけないし、戦略投資にも回していかないといけません。とはいえ貧しているときは、仕方がない面もある。名目は何も考えていませんけど、緊急財政として、特別予算をもって支援するようなイメージはあります。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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