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川島永嗣  耐心力
7年ぶりに日本代表を外れても…
責任と覚悟、プライドは捨てなかった

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第10回

2018年ロシアW杯。一度は日本代表から外れるも、逆境を乗り越え再び日の丸を胸にピッチに立つ川島の姿がそこにはあった
2018年ロシアW杯。一度は日本代表から外れるも、逆境を乗り越え再び日の丸を胸にピッチに立つ川島の姿がそこにはあった【Photo by Getty Images】

 2015年夏、スタンダールを退団して次の所属クラブが見つからなかったことで、7年ぶりに日本代表から外れた。


 このタイミングでスタンダールを離れることは、1年前から頭の中にあった。でも、代表から離れることは考えていなかった。移籍して、新たなチャレンジをして、そのチャレンジを通してまた代表に何か還元できるものがあるのではないか。そんなイメージだけを持って日々のトレーニングに取り組んできた。

 焦る気持ちは、時間の経過とともに強くなっていった。9月にはアジア2次予選が控えていたし、遅くとも7月には新天地を決めていたいとも思っていた。移籍先が決まらずにイタリアのノヴァーラで練習をさせてもらっていた時も、コンディションをしっかり作っていられるように毎日2部練、時には3部練まで一緒にやっていた。心の中では、「自分のチームじゃないのに2部練やるのか!」なんて笑いながら。


 でも、結局、僕自身の準備が整わなかった。移籍先が決まらなければ所属クラブがない。所属クラブがなければ、試合もできないし、コンディションが良くないと思われるのは当然のことで、代表に呼ばれないことも受け入れるしかなかった。

監督の決断に対する失望はなかった

 2015年9月、W杯アジア2次予選のカンボジア戦とアフガニスタン戦に臨む日本代表のメンバーリストに、僕の名前はなかった。


 7年ぶりに自分がいない日本代表を見ることよりも、そこに自分がいられたかもしれないと思う自分が嫌だった。その状況を作ったのが紛れもなく自分自身であるということが、やはりやるせなかった。直面する状況を受け入れているとはいえ、心の中はそんな気持ちだった。


 ただ、日本代表はそういう場所であるべきだと思う。代表に入りたいからといってチームを選択することがいつでも正しいとは限らないし、たとえ所属チームで試合に出ていても、パフォーマンスが良くなければ呼ばれるチームでもない。どれだけ力があっても、いることが保証される場所でもない。

川島永嗣

1983年3月20日生まれ。埼玉県出身。浦和東高校卒業後、大宮アルディージャに加入。名古屋グランパスエイト、川崎フロンターレを経て、2010年にベルギー1部のリールセSKに移籍。11年から2年連続でチーム年間最優秀選手に選ばれる。その後、同1部の名門スタンダール・リエージュやスコットランド1部のダンディー・ユナイテッドを経て、16年にフランス1部のFCメスに移籍。日本人GKとして初めてヨーロッパリーグ、チャンピオンズリーグ予選に出場。18年8月、同1部のRCストラスブールに加入。W杯は、10年南アフリカ、14年ブラジル、18年ロシアの3大会連続で出場し、日本代表のゴールを守った。受賞歴は、09年Jリーグベストイレブン&フェアプレー個人賞など。英語・イタリア語・フランス語など、複数言語を話すことができる。185センチ、74キロ。

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