
第9回

たとえ話として、よくこんな話をする。
日々の生活においても、僕は隣にいる誰かがコーヒーを頼んだからといって「じゃあ僕も」とはならない。大袈裟かもしれないけれど、その時、自分が本当に飲みたいものはなんなのか。それをちゃんと理解して、オーダーすることが大事だと僕は思う。結局、人生はその積み重ねだから。
選択を迫られた時、僕は必ず自分の心の声に耳を傾ける。その瞬間の自分にとって、本当にやりたいことはなんなのか。心は何を求めているのか。その声が聞こえたら、純粋に従い、たとえ導き出した答えが他人から見て正解じゃなくても、自分の心に素直な決断を下そうとする。
うまくいくかどうかなんて、やってみなければわからない。うまくいかなかったからといって、悲観する必要もない。大切なのは、後悔しない決断を下すこと。それさえはっきりしていれば、自分の下した決断によって、新しい自分に出会えることもきっとある。
何が言いたいのかというと、僕は、どんな時でも常に自分らしくありたい。自分の中に決してブレない軸のようなものを持っておきたい。ひとりの人間としても、GKとしても。
GKとしての“軸”ではなく、GKに対する考え方や見方はブラジルW杯以降の4年間で大きく変わった。
自分が突き詰めようとするレベル、目標とするものが4年前とはまったく違う。
いいプレーとは何か。悪いプレーとは何か。以前はそこがボヤけていて、「ベルギーでプレーしている」や「スタンダールでレギュラーを張っている」という表面的なことにとらわれていた。その一方ではベルギーやスタンダールでプレーしていることが自信に繋がっていたところもあるし、精神的にはそれに支えられていたところもあったかもしれない。ただ、いまになって振り返ると、やはりあの頃の僕は表面的な部分、つまり肩書きのようなものにとらわれすぎていた気がしてならない。少し極端な言い方をすれば、スタンダールでレギュラーを張っているからといって、自分が目指すGKになれたわけじゃない。もっと言えば、チャンピオンズリーグで優勝するチームのGKになれたとしても、それだけを判断材料として「理想的なGKになれた」と断言することはできない。
いまの僕は少し違う。ゲームの中で実際にどのようなプレーをするか、どういう自分を見せられるか、その瞬間に何を意図して、なんのためにそのプレーを選択したのか。それを自分の中ではっきりと理解しているし、そうした基準に従って自分自身を客観的に評価するように努めている。おそらく、GKというポジションの選手にとって、それができるかどうかの差は大きい。
自分の中の基準で評価できるか
たとえば、チームの調子が良く、多くの仕事がない中で、どのGKがどんなプレーができるのか。数少ないプレー回数の中で、最高のプレーが求められる。でも、最高のプレーの基準とはなんだろうか。
チームの調子が良くない時に、失点を多くしてしまったとする。GKだから負けたことを悔やむのは当たり前だし、失点が多ければ自分を責めるだろう。そんな中で勝っても負けても、自分自身を客観的に評価する目が求められる。
環境に左右されずに成長できる選手は、やはり精神的な芯がしっかりとしているのだろう。自分の中にある基準が絶対にブレないから、「この試合は良かった」「あの試合は悪かった」という他者からの評価を超えて、自分の基準に従ってブレずに前に進もうとする。そうした基準は、選手としての「フィロソフィ」や「アイデンティティ」と言い換えられる。
結局、選手にとって大切なのは、それを持っているかに尽きる。
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