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川島永嗣  耐心力
ナラさん、能活さんへの特別な思い
2つの正解が成長する定義の指針だった

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第7回

日本代表のGKとして活躍した楢崎正剛(左)と川口能活(右)。その偉大なポジションを引き継いだ川島だからこその"特別な思い"があるという
日本代表のGKとして活躍した楢崎正剛(左)と川口能活(右)。その偉大なポジションを引き継いだ川島だからこその"特別な思い"があるという【Photo by Getty Images】

 名古屋グランパス時代にチームメイトとして身近に見させてもらった僕の意見として、ナラさんの技術の高さはハンパじゃない。


 まず、ナラさんのプレーは何をやってもまったくブレない。セービングの仕方や身体の倒し方、ステップを踏む位置。当時はよく映像で見て研究した。でも、絶対に真似することはできなかった。自分のプレーを映像で確認すると、何もかもがブレブレだった。セービングに対する一連の動きだけではなく、ボールを蹴ることもそう。どうやったらこんなにパーフェクトな動きやプレーができるのだろうと、ナラさんを見ながらそう感じていた。

 2017年、僕は日本代表での出場試合数で、ナラさんの「77」という記録を抜いた。その頃になってやっと、自分がやろうと思っているプレーをちゃんとできるようになってきたと思えた。21歳の時、とんでもない衝撃を受けたナラさんの姿に少しだけ近づけた気がした。


 僕はラッキーだった。よく「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と言うけれど、本当にそのとおりだ。ナラさんには、本当にたくさん勉強させてもらった。


 ライバル心がなかったわけじゃない。というより、強いライバル心を持っていた。ナラさんを超えなければ試合には出られないし、それこそ日本代表に入ることなんてあり得ない。だから、ギラギラして血気盛んだった名古屋グランパス時代の僕は、ナラさんを超えることしか考えていなかった。いまになって思えば、そんな僕をいろいろな面で支えてくれた当時のGKコーチの芦川さんはものすごく大変だったかもしれない。


 ナラさんは、そんな自分をよく食事に連れて行ってくれた。ひとりの後輩としてだけでなく、ポジションを争うライバルとしてもしっかりと受け入れてくれた。やっぱり、器が大きいなと改めて思う。そういう器の大きい男に僕もいつか近づきたい。

ずっと超えられない壁かもしれない

 日本代表の正GKのポジションは、僕が子どもの頃からずっとナラさんと能活さんのものだった。僕は2人と入れ替わる形で、南アフリカW杯のピッチに立った。あの時、日本代表の正GKになること、そのポジションでプレーすることの難しさを痛感して、改めて2人の先輩の偉大さを知った。


 2006年に初めて日本代表に選ばれてからずっと、悶々とした日々を過ごしていた。2008年の東アジア選手権で初めてピッチに立ち、代表チームにおけるピッチの外で感じるプレッシャーと、ピッチの中で感じるプレッシャーの違いを強烈に感じた。


 あの試合を経験して、改めて思った。ナラさんや能活さんが、いかにハイレベルなGKなのか。自分にとってどれだけ偉大な存在なのか。

川島永嗣

1983年3月20日生まれ。埼玉県出身。浦和東高校卒業後、大宮アルディージャに加入。名古屋グランパスエイト、川崎フロンターレを経て、2010年にベルギー1部のリールセSKに移籍。11年から2年連続でチーム年間最優秀選手に選ばれる。その後、同1部の名門スタンダール・リエージュやスコットランド1部のダンディー・ユナイテッドを経て、16年にフランス1部のFCメスに移籍。日本人GKとして初めてヨーロッパリーグ、チャンピオンズリーグ予選に出場。18年8月、同1部のRCストラスブールに加入。W杯は、10年南アフリカ、14年ブラジル、18年ロシアの3大会連続で出場し、日本代表のゴールを守った。受賞歴は、09年Jリーグベストイレブン&フェアプレー個人賞など。英語・イタリア語・フランス語など、複数言語を話すことができる。185センチ、74キロ。

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