
第6回

人生には、いくつかの区切りがある。ポジティブなターニングポイントと振り返ることができる節目には、いつだって、目の前に転がってきたチャンスをつかみ取ってきたという結果がある。チャンスをつかみ取る前、僕は必ずといっていいほど試練に直面してきた。チャンスをつかむためには、チャンスをつかむだけの準備が必要だ。
若い頃は、ひとつしかないGKというポジションの難しさを痛感していた。僕はどうしても、「経験がないから」という理由で試合に出られないことが納得できなかった。
「試合に出られないのに、どうやって経験を積めばいいんだ」
若いGKのほとんどは、同じような感情を持ったことがあるに違いない。
でも、若い頃の僕は、“仕方ない”で済ますことはできなかった。たった1日で何かが変わるわけじゃない。ストライカーのようにゴールを決めれば評価されて、その日を境に使われるということはほとんどない。なのに、どうすれば試合に出られるんだ。
高校を出て、大宮アルディージャに入って2年目のこと。監督が替わり、まったく試合に絡めなかった1年目と違ったシーズンにするぞと意気込んでいた矢先、新しい監督が僕に言った言葉をいまでも覚えている。
「お前はユース代表の合宿でよくいなくなるから、正GKとしては考えられない」
所属チームの試合に出ることは何よりも優先だった。当時のユース代表でもフィールドの選手はトップチームで少しずつ出番を得ている。呼ばれてユース代表に行くのは当たり前のことだし、ユース代表では世界と戦える数少ないチャンスがある。でも、それが原因でチームでは戦力として扱ってもらえない。自分ではどうにもならない状況に直面して、ずっとそんな葛藤を抱えていた。
日本代表でモチベーションを失った時期
日本代表に呼ばれるようになってからも、同じような状況に直面した。
初めて選ばれたのは、2006年2月のこと。代表候補選手を集めた合宿だった。デビュー戦は2年後の2008年2月、東アジア選手権の北朝鮮戦。ただ、その後、出場機会がめぐってくることはほとんどなかった。
ベンチから試合を見ていた僕は、「なんで呼ばれても試合に出してくれないんだ」「もっとチャンスをくれてもいいのに」と心の中で憤っていた。その感情がピークに達したのは、2009年2月、南アフリカW杯アジア最終予選のオーストラリア戦。ナラさん(楢崎正剛)と(川口)能活さんがケガをしてしまったことで、僕は「ついに出番が回ってくるかもしれない」と心のどこかで期待していた。でも、その試合で岡田(武史/監督)さんが起用したのは、5年ぶりに代表復帰した都築龍太さんだった。
あの時は、本当にヘコんだ。急に熱が出て寝込んでしまうくらいにショックだった。
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