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川島永嗣  耐心力
W杯コロンビア戦、なぜ壁は跳んだのか
あの失点について話さなかった理由

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第1回

2010年の南アフリカW杯から、3大会連続で日本のゴールマウスを守った川島。W杯を『夢の舞台』と語る
2010年の南アフリカW杯から、3大会連続で日本のゴールマウスを守った川島。W杯を『夢の舞台』と語る【Getty Images】

 2017年12月に行われたW杯本大会の組み合わせ抽選会を見て、心が躍った。


 もし出場することができたなら、自分はどんな国の、どんな選手と対戦することになるのだろう。


 もちろん、ピッチに立てるならそれ以上の幸せはない。そのためには練習場でハードワークをこなさなければならなかったし、目の前の試合で最高のパフォーマンスを示さなければならなかった。その先にしか3度目のW杯のピッチはないとわかっていたから、とにかく“最高の1日”を積み重ねることだけに集中してきた。


 組み合わせ抽選の結果を見て、コロンビアに対しては「4年前のリベンジ」と考える人も多くいたと思う。もちろん、そういう思いは少なからず自分の中にもあったけれど、本当にわずかな気持ちでしかない。むしろ、僕はいままで出場したW杯がすべて延長線上で繋がっているとは考えていなかった。

W杯は「新しい何か」をつかみ取る舞台

 4年に一度のW杯は、その背景にあるストーリーがすべて異なる。


 選手も監督も違う。チームとして置かれた状況も立ち位置も違うし、相手の顔ぶれもレベルも違う。どうしても4年に一度の大会を一本の線で結びつけて考えがちだけど、少なくとも僕にとって、「8年前はこうだった」「4年前はああだった」と“現在”との比較対象にすることはできない。これはW杯という舞台そのものに対するリベンジだ。


 W杯は、4年に一度きり。そのつど「新しい何か」をつかみ取るための大舞台だ。すべての国がそういう姿勢で臨んでくるからこそ、最後の最後まで何が起こるかわからない


 本番直前にパフォーマンスが落ちれば最終メンバーに残れないかもしれないし、メンバーに入ってもピッチに立てない可能性だってある。日本がものすごい快進撃を見せるかもしれないし、ブラジル大会と同じようにボロ負けして帰らなければならない可能性もある。そんなことは、その瞬間を迎えてみなければわからない。本当に、最後の最後まで何が起きるかわからない。それがW杯だ。


 過去2大会の経験を通じてそれを理解していたからこそ、どんな状況に追い込まれても、その瞬間に自分ができることを最大限にやるしかないと考えていた。アクシデントが起きたなら、それを受け入れる。もしも神様しか知らない出来事が起きても、自分の力ではどうしようもないことが起きても、その時はその時。だから、ただ自分自身が進化することにすべての力を注ぐしかない。


 W杯は夢の舞台だ。


 サッカーを始めたばかりの子どもが、自分のプレーを見て感動してくれるかもしれない。その姿が目に焼きついて、小さい頃の自分と同じように大きなモチベーションを抱いてくれるかもしれない。進化しようともがく自分の姿をしっかりと示して、それを見てくれた小さい子が走り出してくれたら、そしてGKを始めてくれたら、サッカー選手としてこれほど幸せなことはない。そんなことを考えながら、W杯の開幕を待った。

川島永嗣

1983年3月20日生まれ。埼玉県出身。浦和東高校卒業後、大宮アルディージャに加入。名古屋グランパスエイト、川崎フロンターレを経て、2010年にベルギー1部のリールセSKに移籍。11年から2年連続でチーム年間最優秀選手に選ばれる。その後、同1部の名門スタンダール・リエージュやスコットランド1部のダンディー・ユナイテッドを経て、16年にフランス1部のFCメスに移籍。日本人GKとして初めてヨーロッパリーグ、チャンピオンズリーグ予選に出場。18年8月、同1部のRCストラスブールに加入。W杯は、10年南アフリカ、14年ブラジル、18年ロシアの3大会連続で出場し、日本代表のゴールを守った。受賞歴は、09年Jリーグベストイレブン&フェアプレー個人賞など。英語・イタリア語・フランス語など、複数言語を話すことができる。185センチ、74キロ。

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