あらゆる涙が交錯した「10・2」の死闘 “常勝”ソフトバンクの原点

田尻耕太郎

事実上の“優勝決定戦”が始まる

大一番の先発を任されたのは難病から復帰した大隣憲司 【写真は共同】

 ソフトバンク。残り1試合、77勝60敗6分、勝率.562。
 オリックス。残り3試合、78勝61敗2分、勝率.561。
 この状況で運命の一日、10月2日、直接対決を迎えることになった。舞台はソフトバンクの本拠地ヤフオクドームだった。ソフトバンクは勝てば優勝。オリックスはこの後に楽天と2試合を残していたが、この一戦に勝てばマジック1が再点灯し1996年以来のリーグ制覇に限りなく近づくことができる。

 事実上の優勝決定戦だ。秋山監督は94年の巨人と中日が争った「10・8」を引き合いに出し、「144試合、全力で戦うシーズンはなかなかない。いかに自分のできることをできるかだ」といつものように静かに語った。内川も「いつもやっていることをやるだけ。どれだけ腹をくくってやれるか」と平常心を強調した。

 定刻の18時ちょうどにプレーボールがかかる。マウンドに立ったのはエース攝津ではなく大隣憲司だった。国指定の難病である黄色靱帯骨化症から7月に一軍復帰。オリックス戦で2戦2勝、防御率0.56と好相性だったことも後押しした。「緊張感は日に日に高まっている。しっかり役目を果たしたい」と意気込んだ左腕は初回三者凡退の滑り出し。2回は2本の安打を許したが、落ち着いた投球で縞田拓弥から三振を奪ってピンチを脱した。スイスイと6回4安打無失点。「一人一人に全力でぶつかっていく」という役割を十分に果たした。

 援護したい打線は2回裏に中村晃と吉村裕基が連打でチャンスを作ったところで8番・細川亨が犠飛を放ち先制点をたぐり寄せた。しかし、オリックスも当然だが必死だ。早めの継投を仕掛けられたソフトバンクはなかなか追加点を挙げることができない。すると7回表、2番手の森が原拓也にタイムリーを打たれて1対1の同点に追いつかれた。

 譲れない、譲らない。8回はともに走者を出すも無得点。9回は両チームとも三者凡退。およそ半年間に及ぶ長い戦いの末の巡り合わせで実現したこの対戦だったが、試合終盤の雰囲気はそれまでの勢いや流れなどを超越した境地だった。

延長10回、両チームともに満塁のチャンス

延長10回のピンチを切り抜けてガッツポーズするサファテ 【写真は共同】

 延長10回。満塁。両チームともにすべての塁を埋めた。それぞれの一打が明暗を分けることになる。

 10回表、2死満塁でオリックスの4番・ペーニャの打球は三塁ファウルゾーンに高々と上がった。三塁手の松田が追ったが突如くるりと向きを変えた。ドームの天井に当たったのだ。すかさずカバーに回っていた遊撃手の今宮健太がキャッチする。アウトの宣告にオリックスの森脇浩司監督ら首脳陣は色めき立つが、プレイングフィールド上だったためにインプレーと判断されてそのまま3アウトチェンジとなった。

 長いシーズンでも一度あるかないかの珍事である。何かが起こる予感でヤフオクドームの雰囲気がまたガラリと変わった。10回裏、先頭の1番・柳田悠岐が四球を選ぶ。今宮が送りバントを決めて、3番の内川は敬遠。そして4番の李大浩も四球で歩いた。

松田「選手全員の気持ちをぶつけました」

涙を流す秋山監督はゆっくりと選手の輪に加わった 【写真は共同】

 1死満塁、バッターボックスは5番の松田。オリックスベンチはたまらず、防御率0点台のとっておきのリリーフ右腕・比嘉幹貴をマウンドに送り込んだ。

 初球は外角にボール。2球目は少し甘めのスライダーをバックネット裏にファウル。3球目もやや抜けて内から入った甘いスライダーだったが、またもファウルになった。

 右横手の比嘉にとってスライダーは生命線であり勝負球だ。4球目、松田は覚悟を決めて思いっきり踏み込んだ。球種はやはりスライダー。今度は外角のいいコースに決まったことが、逆に松田の想定どおりになった。左中間の、深く、深くへ、白球が舞う。ボールが弾み、三塁から柳田がホームに生還した。

 サヨナラ優勝決定だ。屋根を突き破らんばかりの歓喜の大歓声にヤフオクドームが包まれる。ナインが一斉に松田のもとに集まる。一、二塁間のところに勝者の輪ができた。

 松田がその瞬間を振り返る。
「あの場面は、今年チーム全員でやってきた練習とか、なかなか勝てなかった時期のこととか、いろいろなことを思いながら選手全員の気持ちをぶつけました。だから勝てたと思いますし、本当にうれしいです」

 秋山監督がゆっくりと歩み寄る。どんどん目が潤み、松田と抱き合う頃には顔がくしゃくしゃだった。自らを「遅咲きの選手」と認める松田は、「プロに入った頃、2軍監督だった秋山監督に育ててもらった」と常々口にしており、その恩に報いる一打でもあった。

 いくつものうれし涙の裏側で、敗者も人目をはばからず泣いていた。捕手の伊藤光は本塁後ろで座り込んだまま、しばらく動けなかった。

 あらゆる涙が交錯した「10・2」の死闘。いや、これはプロ野球で語り継がれる“史闘”になった。

 ソフトバンクはこの後、CS突破を果たし3年ぶりの日本一も成し遂げた。CS前には秋山監督の電撃退任が明らかになりチームが動揺したが、それで敗れるようなチームではもはやなかった。2014年以降、ソフトバンクは昨季までの6年間で5度の日本一に輝いている。まさしく黄金期の真っただ中だ。「10・2」を経験した選手が今も多く残っている。あの頃はまだ若手だった柳田や今宮が現在のチームの中心だ。この“史闘”は、勝者のメンタリティが息づく鷹の原点なのだ。

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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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