井川慶が不惑で描く最後のロードマップ「体が動く限り、僕は現役であり続ける」

沢井史

復帰を目指してトレーニングを続ける井川慶。現役へのこだわりなどを語った 【撮影:白石永(スリーライト)】

 新型コロナウイルスの感染拡大によって、スポーツ界も大きな影響を受けています。そんな中、阪神タイガース、ニューヨーク・ヤンキース、オリックス・バファローズ、兵庫ブルーサンダーズの4球団を渡り歩いた井川慶は、復帰を目指してトレーニングを続けています。

 不惑を迎え、現役生活22年目となる今季は無所属でのスタート。「NPBではもう通用しないことは自覚している。それでも、体が動く限り現役でありたい」と語る井川に、現役へのこだわりと今季にかける思いを聞きました(取材日:3月19日)。

神戸でトレーニングに励む日々

――まず、井川選手の近況から教えてください。

 神戸を拠点にだいたい週に3日、1日あたり2、3時間ほど練習をしています。ランニングと自重系のトレーニングが中心ですね。投げることは毎日続けないといけないので、遠投などはしっかりやっています。

――週3日というのは、井川選手自身で決めてやっているのですか?

 できれば何日か続けて行いたいのですが、時間が取れないときもあるので、最低でも週に3日は練習しようということです。以前は施設を借りてトレーニングをやっていたのですが、今はランニングができる外の方が多いですね。ここ1年はメディシンボールなどを使ったメニューもあって、トレーナーの都合にも合わせながらやっています。

2017年は独立リーグ・兵庫ブルーサンダーズに所属していた井川。ここまで何をしていたのか 【写真は共同】

――2017年に独立リーグの兵庫ブルーサンダーズを退団してから丸2年以上、地道に練習を続けてきました。ここまで現役にこだわり続ける理由は何でしょうか?
 体が動く限り、現役でありたいという思いです。今は体がどこも痛くなくて元気な状態なので、いつでも復帰できるよう、トレーニングを続けています。体が動かなくなったときが、辞めるときです。

――井川選手は昨年40歳を迎えました。年齢を気にすることもあるかと思いますが、体が動く限り現役でありたいのですね。

 そうですね。さすがにトップレベル(NPB)は厳しいとは思いますが、独立リーグなどであと1年くらいプレーして、気持ちよく現役生活を終わりたいというのが正直な気持ちです。

独立リーグで芽生えた、現役への意欲

今年で現役23年目の井川。“野球が好き”という純粋な思いが伝わってくる 【撮影:白石永(スリーライト)】

――井川選手は11年にヤンキースを退団後に帰国して、オリックスで4年間プレーしました。

 ヤンキースでの最後の2年は中継ぎをやっていて、十分なトレーニングができないまま日本に戻って来ました。心機一転「さぁ、日本でやるぞ」と思ったら、異常なくらい多くのケガに見舞われてしまった。阪神にいたときはほとんどケガをしたことがなかっただけに、体の急激な変化を感じました。

――先ほど「体が動かなくなったときが辞めるとき」と言っていましたが、多くのケガを経験したオリックス時代に引退を覚悟したことはありましたか?

 うーん。まぁ、今も実質引退のようなものではあるんですが(笑)。ただ、オリックスにいたときに肘のクリーニング手術をしたら、肘の状態が上がって調子も良くなったんです。まだまだ投げられると思えるようになったことが、引退せず、現役を続行しようと思った理由のひとつです。それと、オリックスの最終年(15年)に体を作ったんです。あの年はもう切られる(戦力外通告を受ける)と何となくわかっていたんですが、どうせ終わるならいい形で終わりたいと思って体作りに励んだら、球速が上がったんです。

――具体的にどのような体作りを行ったのですか?

 食事からトレーニングまでの全てを、当時のトレーニングコーチやトレーナーと一緒に見直したんです。食事は以前は気にせずに食べていたんですが、糖質をあまり取らないようにしました。年齢的に代謝も良くないので、カロリー制限をして体重を落として動ける体にしたんです。そうしたら、当時は全力で投げてやっと出すことができた、140キロ台中盤まで球速が上がりました。驚きましたね。

――過去の経験を踏まえて、今取り組んでいることはありますか?

 とにかく毎日投げることですね。オリックスを退団した次の年(16年)に、独立リーグの兵庫ブルーサンダーズで1年だけプレーしようと思ったんですが、シーズンが開幕するまでの2カ月間に投げるのを休んだら、肩が痛くなってしまって。結局、1年目をリハビリに費やしてしまいました。

 独立リーグ2年目の17年も兵庫ブルーサンダーズにお世話になりました。続木敏之監督(当時)は、僕がタイガースにいた頃のトレーニングコーチ。続木監督は、本来、若手選手が中心になるはずの独立リーグで、僕を中心にローテーションを回してくれたんです。おかげで、いいシーズンを送ることができました。ただ、投げているうちに「もっといいトレーニングをしたら、もっといいボールが投げられるんじゃないか」って思うようになったんです。欲が出てきたというか……。

――若手選手の出場機会を奪ってはいけないという思いから、兵庫を1年で退団したんですね。

 そうですね。僕がここで長くプレーしていると、他の選手のチャンスが減ってしまうし、新鮮味もなくなってしまいますから。

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著者プロフィール

大阪市在住。『報知高校野球』をはじめ『ホームラン』『ベースボールマガジン』などに寄稿。西日本、北信越を中心に取材活動を続けている。

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