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心を整える。
『先輩に学ぶ』
田中達也、鈴木啓太らは最高のお手本

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第2回

自身の持つ強さの一つに、浦和レッズ時代の“最高のお手本”の存在があると長谷部は言う
自身の持つ強さの一つに、浦和レッズ時代の“最高のお手本”の存在があると長谷部は言う【写真:アフロスポーツ】

 浦和レッズに加入して良かったと思うことはいくつもあるけれど、そのひとつが最高のお手本が身近にいた、ということだ。


 まずひとり目は、1歳年上の田中達也選手(現・アルビレックス新潟)だ。


 本来なら学年がひとつ上なので、先輩として接するべきかもしれないけれど、僕は「タツヤ」と呼んで、まるで同級生のような付き合いをさせてもらっている。達也は東京都の名門・帝京高校出身で、高校時代にプレーを見たことはあったが、レッズに入るまで面識はなかった。ドリブルの切れ味が鋭くて、スピードがある選手という以外のことは知らなかった。


 レッズに加入すると、いかに達也がプロフェッショナルであるかを間近で見せつけられた。練習前に入念にストレッチをして、練習後も身体の手入れを怠らない。みんなで飲みに行っても達也が来ることは絶対にない。僕が夜にお酒を頻繁に飲んでいた頃には、「オマエそんなんじゃダメだぞ」と注意してくれた。僕が試合までの準備にこだわるようになったのも達也の影響だ。決して弱音を吐かず、常に前向きな言葉を口にするので、一緒にいるこちらまでポジティブな気持ちにさせてくれる。


 2005年10月15日。この日起きてしまったことは自分にとっても忘れることはできない。

 試合中に受けたタックルで、達也は「右足関節脱臼骨折」という大ケガを負ってしまった。僕はピッチにいながら、苦痛に顔をゆがめる達也をただ呆然と見守ることしかできなかった。


 全治6ヵ月(結局、復帰までは9ヵ月かかった)。当時22歳の有望な若手にとって、あまりにも痛い負傷だった。1日でも早く達也に帰ってきてほしい。僕はプーマの方にお願いして、「11 達也」という刺繍を自分の赤いスパイクに金色の糸で入れてもらった。11は達也の背番号。ピッチで待っているぞ、という思いを、リハビリを続けていた達也に伝えたかった。


 翌年7月、達也はピッチに帰ってきた。順風満帆な道のりを歩む選手もいるけれど、僕は困難を乗り越えた選手に魅力を感じる。達也はまさにそういう選手のひとりだ。


 後日、達也の奥さんから、「11 達也」と刺繍を入れたスパイクをぜひ譲ってもらえないかと言われたので、快くプレゼントした。達也の家に遊びに行くと、そのスパイクがリビングに飾られていて嬉しかったのを覚えている。


 今ではドイツと日本で離れてしまったけれど、しょっちゅう連絡を取り合っている。まあ、達也は携帯電話を放ったらかしにしていることが多くて、出てくれるのはたいてい奥さん。だから、まずは奥さんと話して、次に達也の子どもと話して、やっと本人と話す。冗談で「それじゃあ不携帯電話だよ」と言っているんだけど、一向に改めてくれない(笑)。

長谷部誠

1984年1月18日、静岡県出身。3歳でサッカーを始め、青島東小のスポーツ少年団、青島中サッカー部を経て名門・藤枝東高校入学。2001年の全国総体準優勝。2002年浦和レッズ加入。2008年にドイツ・ブンデスリーガへ移籍。翌年、ヴォルフスブルクにてリーグ優勝を経験。現在はアイントラハト・フランクフルトの主軸として活躍している。2018年にはドイツカップ優勝を達成。ワールドカップでは、南アフリカ、ブラジル、ロシアの3大会連続でキャプテンを務めた。日本代表のキャップ数は114。

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