常勝軍団×IT企業のシナジー効果とは? Jリーグ新時代 令和の社長像 鹿島編

宇都宮徹壱

「常勝軍団」鹿島にやって来たIT企業出身の社長

昨年9月に鹿島アントラーズの社長に就任した小泉文明氏。現在はメルカリの会長も兼任 【宇都宮徹壱】

 2月22日に開幕した2020年のJリーグは、新型コロナウイルスの影響により第1節以降は試合が行われない状況が続いている。「常勝軍団」鹿島アントラーズは、第1節でサンフレッチェ広島に0-3と完敗し、この時点での順位は最下位。いつものシーズンであれば、まったく気に留める必要はないのだが、この順位がリーグ戦の延期によって3週間(さらにそれ以上)固定されることなると話は別である。そのことについて「非常に耐え難いですね」と苦笑いするのが、昨年8月にクラブ社長に就任した、小泉文明である。

「でも、ここから先は上がっていくしかない。今年に入ってから、天皇杯優勝を逃し、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)出場も逃し、極端にオフも短い中で開幕を迎えざるを得なくなりました。ただ、済んでしまったことは仕方がないですし、われわれが目指すサッカーにアップデートするためには時間も必要です。今回の延期は残念ではありますが、ザーゴ監督のサッカーをインストールする時間を考えれば、むしろポジティブに捉えることも可能だと思っています」

 サッカーの話をしているのに「アップデート」とか「インストール」といったフレーズがポンポン出てくるところは、いかにもIT企業の経営者らしい。昨年8月、小泉が社長を務めていた株式会社メルカリが16億円で鹿島の経営権を取得し、小泉自身が子会社となった鹿島の社長に就任したことが話題になった(現在はメルカリの会長を兼任)。親会社が製鉄会社からIT企業に変わったことで、Jリーグ随一の伝統と実績を誇る名門クラブは、大きな変革期を迎えることとなった。その中心人物である小泉が、今回の主人公である。

 メルカリが設立されたのは13年。鹿島のスポンサーを始めたのが17年。そしてクラブの責任企業となったのが19年。実にスタートアップ系らしいスピード感だ。今回の取材にあたり、当連載の監修者であるデロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社の里崎慎からは、こんな「宿題」を預かっていた。

「まず、オーナー権取得の合理性を、小泉さんは社内でどのように説明したのか。経営権取得のハードルは何だったのか。どのような取り組みで、鹿島とメルカリとのシナジーを生み出そうとしているのか。そして小泉さん自身、クラブ社長としての価値をどう考えているのか。そのあたりのことが分かれば、スポーツビジネス界への参入を考える企業が増えてくるのではないかと考えています」

メルカリ参入で鹿島にハレーションが起こらない謎

JSL2部の住友金属から最多タイトル数を誇る鹿島へ。ジーコの加入からすべてが変わった 【宇都宮徹壱】

 なるほど、実にコンサルらしい関心のベクトルである。それらはしっかり押さえつつ、実は私にはもうひとつ、今回の取材で明らかにしたいテーマがあった。それは伝統も実績もある名門クラブが、メルカリ(そして小泉社長)という異文化をいかに受け入れたのか。あるいはメルカリ(そして小泉社長)の側が、どのように鹿島の文化に溶け込んでいったのか、ということである。

 それを知るためには、黎明期からクラブを支えてきた、2人のキーパーソンにも話を聞く必要があった。ひとりはクラブの取締役で、フットボールダイレクターの「マンさん」こと鈴木満。もうひとりは同じく取締役で、マーケティングダイレクターの「ヒデキさん」こと鈴木秀樹。満と秀樹の「両鈴木」は、鹿島アントラーズの設立以来、クラブ成長・発展を推進させてきた両輪として知られる。ちなみに満は1980年に、秀樹は81年に住友金属に入社。選手として、フロントとして、実に40年にわたってコンビを組んできた。

 鹿島アントラーズの前身は、住友金属工業蹴球団。創部は1947年で、関西リーグから74年にJSL(日本サッカーリーグ)2部に昇格し、翌75年に鹿島製鉄所がある茨城県鹿島町(現鹿嶋市)に本拠地を移した。満と秀樹が入社した80年代初頭は、ちょうど住金が1部昇格に向けて補強を進めていた時代に当たる。その甲斐もあって、住金は85年に1部昇格を果たしているが、わずか1シーズンで2部降格。当時の住金に、のちの鹿島の強さを予感させるものは微塵もない。

 純然たる企業チームの住金では、選手は当然ながら働きながらプレーしていた。満は石炭や鉄鉱石の管理を、そして秀樹は工場内の環境調査を、それぞれ担当していたという。まだ各自の机にはパソコンがなく、上司のハンコがないと書類が回らない時代。そんな昭和の製造業で育ってきた両鈴木が、13年設立のIT企業からやって来た39歳の若手社長を迎えることに、戸惑いや抵抗といったものはなかったのだろうか。

 IT企業が経営に参入して、組織運営がガラリと変わるという話は、昨今ではすっかり珍しくなくなった。新たな企業文化の流入は、組織に革新をもたらす一方で、プロパーとの間にハレーションが起こる可能性も否定できない。地方都市を本拠とし、伝統と実績があるクラブであれば、なおさらであろう。ところが鹿島とメルカリに関して、きな臭い話は寡聞(かぶん)にして知らない。その理由についても、ぜひ今回の取材で明らかにしたい。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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