連載:欧州 旅するフットボール

「レジェンドが生まれるところ」 中村俊輔、歴史を作った左足の記憶

豊福晋
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中村俊輔はその左足で、セルティックを史上初のCL決勝トーナメントに導くゴールを決めた 【写真:ロイター/アフロ】

グラスゴー

 日本サッカー史に刻まれる一本のフリーキックがある。

 それはいまから12年前の秋のこと。
 中村俊輔はセルティック・パークのピッチの上に立っていた。
 舞台はチャンピオンズリーグ、彼の目の前にはマンチェスター・ユナイテッドの赤い壁があった。

 左足から放たれたボールは美しい軌道を描き、のっぽのオランダ人ゴールキーパーが伸ばした手の先へと飛んでいく。
 それはパーフェクトなフリーキックだった。
 衝撃は煉瓦のスタンドを揺らし、緑の群衆を沸騰させ、街へと続くロンドン・ロードに並ぶ幾千のパブを熱狂で包んだ。

 ゴードン・ストラカン監督はため息をついた。
「歴史だ。この夜のことを人々は忘れないだろう」

 中村は2か月前、敵地オールド・トラッフォードでも低い弾道のフリーキックを決めていた。だがその夜の一撃は勝利をもたらし、セルティックを史上初の決勝トーナメントに導くゴールとなった。

 それからずいぶんと時が経った2018年の夏、英国紙の短い一報を目にした。
 8月のチャンピオンズリーグ予選を報じる記事で、新聞記者の落胆と諦めが伝わってくる、悲しげな文章だった。
 セルティックは敗れた。チャンピオンズリーグはなし。そしてそれは、もはや驚きではなくなってしまった。

 セルティックは予選でAEKアテネに敗れ大会出場を逃した。3季ぶりのことだ。あの華やかな舞台は今では遠い彼方の記憶になっている。
 時は流れ、欧州で低迷期を過ごすセルティック。人々の心の奥に当時の記憶はどのように息づいているのか。12年後のグラスゴーを訪れた。

ある電気工の記憶 ――18年夏

 イングラム・ストリートの濡れた路地に雲の隙間から光が射しこんでいた。

 通り沿いにあるイタリア料理店『イタリアン・キッチン』の佇まいは変わっていなかった。中村が通っていた店だ。練習帰りにいつもの席に着くと、すぐに窯から湯気たつフォカッチャが差し出された。ミックスサラダと魚介のスパゲッティ。北の大地に移り住んでからも南イタリアの味は忘れられなかったのだろう。

 経営者が代わったのか、いつも太陽の笑顔を見せてくれたナポリ出身の店主の姿はなく、店員がつまらなそうに応対していた。彼がこの街を去ってから、もうすぐ10年が経とうとしている。

 セルティック・パークへと続く長い通り、ギャロウゲートには緑色のパブが並んでいた。店の軒先では緑色の旗やアイルランド国旗が風になびいていて、頑丈なドアが外敵の侵入を防ぐみたいに固く閉じられている。

 集合住宅を越えて進むとセルティック・パークにたどり着く。愛称はパラダイス。グレーの空の下に佇む巨大な建造物、その景色はあまり天国のものには見えない。かつては荒れたコンクリートの駐車場だった場所はきれいに舗装されていた。

 中年のファンがいた。名はガリー、元電気工だという。
「シュンスケ・ナカムラ。我々のスターだ。まちがいなく彼はこのクラブで伝説を築いた。もちろんあのフリーキックは覚えているよ。セルティック・パークで決めたものも、オールド・トラッフォードの一発も、この目で見たから」
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著者プロフィール

ライター、翻訳家。1979年福岡県生まれ。2001年のミラノ留学を経てライターとしてのキャリアをスタート。イタリア、スコットランド、スペインと移り住み現在はバルセロナ在住。5カ国語を駆使しサッカーとその周辺を取材し、『スポーツグラフィック・ナンバー』(文藝春秋)など多数の媒体に執筆、翻訳。近著『欧州 旅するフットボール』(双葉社)がサッカー本大賞2020を受賞。

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