イチロー引退「3・21」の記憶 あの日から1年、新たな日常を刻む

丹羽政善

イチロー引退からちょうど1年が経つ。改めてあの日のことを振り返りたい 【写真は共同】

 相変わらず、結構な距離だった。

 今年は、エンゼルスの大谷翔平を中心に取材していたため、マリナーズがキャンプを張っているアリゾナ州ピオリアへ行くことはほとんどなかった。しかし先日、大谷がピオリアで行われたマリナーズとのオープン戦に出場するため、通い慣れた同地へ。

 試合前、マリナーズの施設をのぞくと、会長付特別補佐兼インストラクターのイチローが、レフトでキャッチボールをしていた。去年も引退してから同職に就任すると、午後の早い時間にはよくキャッチボールをしていたが、去年、アリゾナにいたときはまだ現役。錯覚もあって、少し時間が巻き戻った。

GMの言葉「素晴らしい夜になるだろう」

 引退からちょうど1年が経つ。

 あの日の長い1日のことは、比較的細部まで覚えている。

 午後、東京ドームの近くでランチを食べて戻って来ると、シアトル・タイムズ紙のライアン・ディビッシュ記者から「覚悟をしておけ」と言われ、「いよいよか」と身構えた。その後、関係各所に連絡を入れ、準備を促す。一方で、確かな裏が取れないかと動いた。

 練習前、予定されていたスコット・サービス監督(マリナーズ)の会見時間が急に変更された。ミーティングがあるからとのことだったが、シリーズ初戦ならまだしも、2戦目のミーティングというのはあまり例がない。練習が終わって引き上げてきたある選手に内容を確認すると、イチローの引退とは無関係だった。

 試合開始直前、ジェリー・ディポトGMをベンチ裏の通路で捕まえた。

「今日は、素晴らしい夜になるだろう」

 そうはぐらかされたが、実は、意味があった。

 そうした一つひとつは、もはや遠い昔のようでもあり、一方で、最近のことのように生々しい。引退会見の後、東京ドームの食堂の前で旧知の記者と話していると、横の階段をイチローが駆け下りてきた。あの時の足音は、まるで昨日のことのように耳に残っている。

第1打席、第2打席の記憶がない

筆者は引退試合の映像を見返したが、記憶が抜け落ちている場面があるという 【Getty Images】

 ところが先日、改めて昨年の3月21日――イチローが引退した日の試合を見返していると、自分でも驚いた。1打席目の三塁ファウルフライと2打席目のセカンドゴロの記憶がないのである。映像を見ても、「あぁ、そうだった」と記憶がよみがえることもない。

 3打席目の見逃し三振と4打席目のショートゴロは、誰が横にいて、どんな話をしながら見ていたかもはっきり覚えている。しかし、1打席目と2打席目は、前後の記憶すらない。唯一覚えているのは、第一線を退く意向を球団に伝えた、という一報。インターネットで広まる前、内々で確認の連絡があった。ちょうど1打席目が終わった後のことである。

 ここまで書いて一つ思い出した。

 あのとき、試合後に出す予定だった米メディアから頼まれていたネット原稿を大急ぎで直し始めた。2打席目はそれでバタバタしていた可能性がある。だが、なぜ1打席目の記憶がすっぽり抜けているのかは、説明がつかない。

 覚悟はできているつもりだった。「3・21」が突然、訪れたわけではないのである。

 衝撃だけなら、会長付特別補佐に就任した前年の「5・3」の方が、大きかった。マリナーズ復帰もつかの間のこと。当たり前だった日常が、突如として終わりを告げた。

 会長付特別補佐に就任するが、それは形だけで、チームに帯同し翌年の現役復帰を目指す――。突然の発表の裏にはそんなシナリオがあったが、解釈が難しく、前例などなかった。もちろん、それからの日々があったからこそ、引退に対する覚悟はできているつもりだったが、いざそれが現実となると、「ついにきたか」程度で受け止められるものではなかった。

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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