連載:プロ野球 あの人はいま

神宮を沸かせたドラ1左腕・加藤幹典 人生を変えたプロ1年目の「違和感」

前田恵

折れかけた心に響いた大先輩の「檄」

長いリハビリ生活の苦難を乗り越え、ようやくプロ初勝利を挙げた加藤。再起のきっかけは、ある大先輩からのきつい一言だった 【写真は共同】

 3年目に肩を痛め、二軍で調整中、石井弘寿(現・一軍投手コーチ)と練習を共にした。石井は06年以降、左肩痛で長くリハビリ生活を送っている。気持ちが沈み、トレーニングにも熱の入らない加藤を石井は一喝した。

「お前、トレーニング舐めてんの?」

 ハッと目が覚めた。

「石井さんは腱板が壊れていたわけだから、そこから復帰するのは並大抵のことではないと思うんです。それでもめげずに黙々と、しかも想像以上の、ものすごい量のトレーニングをしていた姿が印象的でした。これぐらいやらなければならないんだ、と切実に感じました。石井さんが一度折れた僕の心を、再起に向かって導いてくれた。この肩でできるところまでやってみよう、と思いました」

 2010年の7月8日、阪神戦で2年ぶりに先発登板し、プロ初勝利。つらい時期を乗り切っての白星が、プロ野球人生唯一の勝ち星となった。

「あのときも、スピードはまったく出ていなかったんですよ。ただ面白いことに、スピードが出ないなりにもプロで抑えるすべというのが分かってくるんです。相手バッターに対して変化量で勝負するのでなく、タイミングを変える。バッターに自分のスイングをいかにさせないかが大事なんですね」

 もしも1年目、自分で肩の違和感をしっかり自己申告し、治療に入っていれば結果は変わっていたかもしれない。あの分岐点での判断が、自身の野球人生を変えてしまったともいえるだろう。それには後悔の思いもある。ただ、リハビリ生活の間に学んだトレーニングや故障に関する知識が、その後の加藤の人生において貴重な財産になったことは間違いなかった。

(企画構成:株式会社スリーライト)

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加藤幹典(かとう・みきのり)

【撮影:スリーライト】

 1985年6月4日生まれ。神奈川県出身。県立川和高時代に頭角を現し、『神奈川公立三羽ガラス』と呼ばれ脚光を浴びる。卒業後は慶応大に進学し、1年生から投手陣の柱として活躍。東京六大学野球1年秋のリーグ戦では、最優秀防御率とベストナインを獲得。大学通算64試合に登板し、30勝17敗、防御率2.14。通算30勝は東京六大学野球で20人目。慶応大野球部史上最多の371奪三振を記録した。2007年ドラフト1位で東京ヤクルトスワローズに入団。即戦力として期待されるもケガに悩まされ、12年に引退。引退後は、株式会社ヤクルト本社での勤務を経て、独立。現在は、株式会社FORMICを立ち上げ、「ケガをしない体の使い方」を指導するなど、野球を中心に子どもたちのスポーツ普及活動に取り組んでいる。

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著者プロフィール

前田恵

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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