単なる「サクセスストーリー」ではない FC今治のJ3昇格が意味するもの

宇都宮徹壱

「4位以内確定」の瞬間を他会場で迎えて

18日のJリーグ理事会で今治のJ3昇格が決定。村井チェアマン(右)と今治の矢野社長が会見に臨んだ 【宇都宮徹壱】

 11月10日、JFL第27節が行われ、Honda FCのリーグ史上初となる4連覇、そしてFC今治の4位以内が確定。今治は18日のJリーグ理事会での承認を経て、来季のJ3リーグ昇格が決まった──。以上、さらりと書いてしまったが、私の心は複雑である。岡田武史代表の時代がスタートした2015年、すなわち四国リーグの時代から5シーズンにわたり今治を取材してきた自分が、昇格を決めた試合に立ち会うことができなかったからだ。おのれの判断の甘さ、そして運の悪さを呪わずにはいられない。

 第27節、今治はホームにFCマルヤス岡崎を迎えていた。この時点では12位に沈んでいたとはいえ、今治が今季初めての敗戦を喫した相手である。その前の試合で流経大ドラゴンズ龍ケ崎に5-0で大勝し、6試合ぶりに勝ち点3を加えた今治は、順位を3位に上げて4位以内確定まで「マジック5ポイント」としていた。この日の岡崎戦に勝利し、さらに5位以下のホンダロックSCとヴィアティン三重が引き分け以下に終われば、今治はJ3昇格の条件を満たすことになる。つまり、この時点ではあくまで「条件次第」の状況だったわけだ。

 そして迎えた11月10日。JFLの途中経過をチェックしていたら、今治は前半27分の橋本英郎のゴールで先制。鈴鹿アンリミテッドFCとのダービーとなった三重は両者スコアレスの状態が続き、ホンダロックはMIOびわこ滋賀に0-1でリードされているではないか。時間の経過とともに、焦りの色は濃くなってゆく。

 結局、今治は逃げ切りに成功。三重県ダービーはスコアレスドローに終わり、ホンダロックも終了間際に1点を返して1-1に終わった。この結果、今治はJ3昇格の条件のひとつである、JFL4位以内が確定。ただし同日、Hondaが優勝を決めたため、クラブとして掲げていた「優勝してJ3へ」という目標は果たすことができなかった。昇格という最重要ミッションは果たしたものの、優勝という目標が消滅した今、果たして今治は残り3試合をどのように戦うのだろうか。

「昇格内定」で残り3試合をどう戦うか?

昇格を決めた今治のサポーターは今季最後のアウェーにも20人以上が参戦 【宇都宮徹壱】

 そんなわけで1週間後の17日、鈴鹿vs.今治のゲームを取材するべく、試合会場の三重交通Gスポーツの杜鈴鹿に向かうことにした。当初「ここで昇格が決まるだろう」と踏んでいたカードだ。そのプランがついえた今、どのような目的をもって、この取材に臨むべきなのか考えてみた。まず、先に挙げた「残り3試合の戦いを見極める」こと。すでに来季に向けた編成が水面下で進む中、出番のなかった選手にチャンスを与えるのか、それとも最後まで勝利を目指すメンバーで臨むのかを確認しておきたかった。

 そしてもうひとつは、現地でお会いする今治の関係者に、直接「おめでとうございます」と申し上げることである。今治に関わる人たちがSNSで「おめでとうございます」と書き込む中、私は頑なに祝意を表することをしなかった。悔しくて意地を張っていたのではない。この5年間のクラブの歩みを、折に触れて取材してきた人間としては、とても軽々しい気持ちで「おめでとうございます」などと書き込む気分になれなかった。ならば、Jリーグからの昇格承認が下りる前に、自分の気持ちを直接伝えようと思った次第である。

 キックオフ50分前、試合会場に到着。ピッチサイドで、今治の小野剛監督の姿を見かけたので、さっそく「おめでとうございます」と握手する。「いやあ、すみませんね。宇都宮さんがいらっしゃる前に決めてしまいました」と冗談めかしに語る表情は、ずっと抱えていた重圧から解き放たれた晴れやかさが感じられた。続いてアウェーが陣取るスタンドに顔を出して、20人ほどの今治サポーターにもあいさつ。親しいサポの1人は「先週で決まるとは思いませんでした」と、こちらも実ににこやかである。

 鈴鹿サイドからも祝意の言葉が発せられた。「今治の皆さん、昇格おめでとうございます! でも、勝ち逃げは許しません!」と叫ぶのは、岡山一成コーチ。現役時代は「昇格請負人」として、さまざまなJクラブでプレーしていた岡山コーチは、今は鈴鹿で指導者の修行中である。彼が師事しているのが、今季からチームの指揮を執るスペイン人のミラグロス・マルティネス・ドミンゲス(愛称ミラ)監督。「日本初の全国リーグでの女性監督」として話題になった彼女だが、果たして今治を相手にどんなサッカーで挑むのだろう。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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