白熱の3位決定戦と今大会の「日本らしさ」 サッカー脳で愉しむラグビーW杯(11月1日)

宇都宮徹壱

もしもサッカーW杯が日本の単独開催だったなら

取材終了後にファンの写真を撮っていたら、なぜか一緒に記念撮影することに 【宇都宮徹壱】

 後半もオールブラックスの優位は変わらず。後半2分、ライアン・クロティのトライとモウンガのゴールで、さらに7点を追加する。対するウェールズも後半19分、スクラムでの攻防からジョシュ・アダムズがトライ、さらにコンバージョンも成功させてファイティングポーズを維持。しかし最後は、モウンガがダメ押しのトライを決めて、試合の大勢は決まった。これが両チーム合計で8トライ目となり、W杯の3位決定戦では最多記録。モウンガ自身も今大会54得点となり、田村優の51得点を抜いて単独トップとなった。

 かくして、40-17でノーサイド。試合が予想以上に白熱したのは、オールブラックスのスティーブ・ハンセン、レッドドラゴンズのウォーレン・ガットランド両HC(ヘッドコーチ)にとってのラストマッチだったことも大きかった(前者は8年、後者は12年の長期政権)。その後、銅メダルの授賞式が行われた。勝利したニュージーランドの選手、スタッフ全員にメダルが授与される間、ウェールズの選手はずっとその様子を見守り続け、最後には全員が一列になって東西南北に深々とお辞儀をしてみせた。試合終了まで勝負をあきらめなかったウェールズは、最後までリスペクトの象徴のような存在であり続けたのである。

 ところでこの試合では、後半から上皇ご夫妻が臨席されている。ご夫妻は天皇・皇后時代の3年前にも、同じく東京スタジアムで行われた日本対スコットランドのテストマッチをご観戦。これがわが国で初めての、ラグビーの国際試合での天覧試合となった。皇室とラグビーとの関係で言えば、まず「聖地」東大阪市花園ラグビー場の建設を提案した、秩父宮雍仁親王の名が思い浮かぶ(没後、東京ラグビー場は秩父宮ラグビー場となった)。その甥(おい)に当たる三笠宮寛仁親王も、ラグビーファンとして有名であった。

 大会の開会を宣言した秋篠宮皇嗣殿下が、その後も釜石会場を訪れるなど、今回のラグビーW杯では皇室の存在感が目を引いた。これなども「日本らしさ」を象徴するトピックスと言えよう。ふと、17年前のサッカーW杯に思いを巡らせる。もしも2002年大会が日韓共催ではなく、日本の単独開催であったなら、今大会のような「日本らしさ」が随所に感じられるものとなっていただろう。日韓共催が良い面をもたらした点は認めるが、共催そのものがFIFA(国際サッカー連盟)の政治的妥協で押し付けられたという事実に変わりはない。そう考えると、今回のラグビーW杯が何ともうらやましく思えてしまう。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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