花園で本領発揮「空飛ぶフィジー人」 サッカー脳で愉しむラグビーW杯(10月3日)

宇都宮徹壱

「聖地」花園ラグビー場について

花園ラグビー場で出会ったフィジーのファン。選手のような巨漢をカラフルなコスチュームが包む 【宇都宮徹壱】

 ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会2019は12日目。前夜にニュージランド対カナダを大分で取材した私は、翌朝に特急ソニックと新幹線のぞみを乗り継いで大阪に向かった。海外から来日したラグビーファンの非日常と、これから出勤する人々の日常が入り交じる、何とも奇妙な車内の光景。これもまたW杯ならではである。この日は東大阪にて、プールDのジョージア対フィジーの試合が行われる。キックオフは14時15分。ティア2(中堅国)同士の平日昼の試合に、果たしてどれだけの観客が集まるのだろう。

 今大会を取材するにあたり、日本代表の試合以外は、対戦カード以上に会場選びを重視している。決勝トーナメント以降の会場は、東京、横浜、大分のみ。ならばプール予選の間は、できるだけ多く地方の会場を訪れておきたい。サッカーのW杯がそうであるように、ラグビーのW杯もさまざまな土地を訪れる楽しみがあるし、とりわけ今大会は「2002年との比較」という視点は必須。今大会が特徴的なのは、17年前のレガシー(スタジアム)を活用しつつ、いわゆる「ラグビーどころ」もしっかり組み込まれていることだ。

 今大会の12会場のうち、ラグビー専用のスタジアムは3つ。すなわち、釜石鵜住居復興スタジアム、熊谷ラグビー場、そしてこの日訪れる東大阪市花園ラグビー場である。このうち最も伝統と格式があるのが、花園ラグビー場。「花園」は高校野球の「甲子園」と同じくらい、高校ラグビーの聖地として有名である。その歴史は古く、1929年(昭和4年)に開場。サッカーのW杯が初めてウルグアイで開催された前年に、わが国でラグビー専用スタジアムが作られている歴史的事実に、まず驚かされる。

 スタジアムへのアクセスは、近鉄けいはんな線吉田駅から徒歩15分、あるいは近鉄奈良線東花園駅から徒歩10分。この日は吉田駅から出ている、無料シャトルバスを利用した。いかにも大阪らしく、ボランティアスタッフの皆さんがフレンドリーなので、こちらも思わず頬が緩む。そして初めて訪れる、高校ラグビーの聖地。昨年の大規模な改修工事を経て、日本最古のラグビー専用スタジアムは、2万6544人収容の国際大会にふさわしい会場に生まれ変わっていた。

パワーのジョージアと機動力のフィジー

ジョージアのファン。以前の国旗はワインレッドを基調としており、今もジャージに採用されている 【宇都宮徹壱】

 キックオフ20分前、記者席に腰を落ち着ける。目の前のピッチがすぐ近くに感じられるのが素晴らしい。一方で気になるのが、試合前から振り始めた雨。記者席があるメインスタジアムには、もちろん屋根がかかっているが、かなり高さがあるので時おり雨が降り込んでくる。そんな天候の中、ジョージアとフィジーから来日したファンを含む、多くの観客がスタンドに詰めかけていた。この日のアテンダンスは、2万1069人。平日昼の開催とは思えないほどの大入りである。

 この日の対戦カードについて触れておこう。このところティア1(伝統国)対ティア2の取材が続いていたが、プール予選ではティア2同士のカードのほうに面白さを感じている。きっ抗した試合となることが多く、しかもそれぞれ持ち味を出しやすいからだ。2日時点での最新の世界ランキングでは、ジョージアが11位でフィジーが12位。いずれも2試合を終えており、ジョージアはウルグアイに勝利して5ポイント。フィジーは2敗しているものの、ウルグアイ戦で2つのボーナスを獲得して2ポイントとなっている。

 ワインレッドのジョージアの愛称は「レロス」。もともとこの国には、レロという伝統球技があり、これがジョージアのラグビー人気に起因しているとされる。W杯出場は、2003年の第5回大会から。第1回大会が行われた1987年は、独立国家としてのジョージアは存在せず、「グルジア」の名前でソビエト連邦に組み込まれていた。もともとソ連代表に多くのラガーマンを供出していた歴史があり、また格闘技が盛んなお国柄ゆえに、パワーを前面に押し出したスタイルを身上としている。

 一方のフィジーは、南太平洋に浮かぶ人口90万足らずの小さな島国。それでもオセアニアを代表する強豪のひとつで、W杯には95年大会を除いてすべて出場、ベスト8には2回進出している(87年と07年)。トンガやサモアとは異なり、フィジーはパワーよりもテクニックと機動力にストロングポイントを置いている。「フライング・フィジアンズ(空飛ぶフィジー人)」というニックネームは、そのプレースタイルに由来するらしい。今回のゲームは、パワーと機動力がぶつかり合う一戦が期待できそうだ。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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