東京パラリンピック内定のマラソンランナー堀越信司、“本物のアスリート”を夢見て

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【©? Hiroaki Yoda】

2019年4月28日、ロンドンマラソンと同時開催された「2019 World Para Athletics マラソン世界選手権」で3位に食い込んだ堀越信司(T12/視覚障がい)。日本ブラインドマラソン協会が定める代表推薦の規定を満たし、陸上競技の中ではいち早く、東京2020パラリンピック出場をほぼ手中に収めた。自国での大舞台を約1年後に控えた夏、黙々と走り込みを続ける堀越に、ランナーとしての転機と矜持を聞いた。

長野・菅平高原で合宿に励む堀越信司 【©?Hiroaki Yoda】

ハイレベルなレースで見えた“メダルライン”

東京パラリンピック出場を決定づけたロンドンマラソンでの走り。それまでの自己記録(2時間27分42)を約2分更新する2時間25分56は、アジア記録を塗り替える好タイムだった。レース中、堀越はある“変化”を感じていたという。

堀越信司(以下、堀越) 周囲の選手のレベルがかなり上がっているな、と感じましたね。これまでのブラインドマラソンでは、レースにおける「駆け引き」がそこまで多くなかったんです。国際大会で何度もマラソンを走っていますが、今回のロンドンマラソンでは、今までは少なかったゆさぶり(ペースの上げ下げ)があったり、集団の中で位置取りを気にしたり、というレース展開になったのは意外でした。その中で、落ち着いて走り切ることができたんじゃないかな、と思っています。

優勝したモロッコのエルアミン(リオパラリンピック金メダリスト)のタイムは2時間21分23の世界新記録。「年齢的にもそこまでの力は残っていないだろう」と予想していた堀越も脱帽の快走を見せた。他方で、堀越にとっての収穫は、リオで銀メダルのアルベルト(スペイン)に6秒差まで迫ったことだった。

堀越 これまでアルベルト選手とは数分差で敗れていたのですが、銀メダル争いを最後まで展開できたことは良かったです。要因は、自分の底力がついてきているということでしょう。マラソンは、今回のロンドンで9回目だったので、経験を踏まえて練習内容も成熟してきています。今回の結果で、パラリンピックのメダルラインに近づいていることを確認することができました。とはいえ、負けたことは事実ですし、エルアミン選手までは4分もの差がある。この差をどう埋めていくかが課題ですね。

「ワンランク上に行ける手応えはある」と堀越 【©?Hiroaki Yoda】

先天性の網膜芽細胞腫という病気で、右眼には義眼を入れていて、左眼の視力も0.03ほど。そんな堀越が陸上競技を始めたのは中学生になってから。きっかけは、「水泳からの逃避」と「オリンピック」にあった。

堀越 小学校のときはスイミングスクールに通っていました。水泳自体は嫌いではなくて、「これ以上続けるなら競技クラスで」と先生から言われるくらいのレベルには達していたんです。ただ、親にやらされているような感覚が嫌で……(笑)。

一方で、走ることは当時から好きで、小学校の校内マラソン大会などでは、普段から、運動が得意だぜ、とブイブイ言わせている子よりも速く走っていました(笑)。そんな折、シドニーオリンピックの陸上競技をテレビで観たときに、すごい盛り上がりのなかで、100m金メダルのモーリス・グリーンが疾走する姿に「カッコいいな」と思う自分がいて。

小学校を卒業して、筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)に進学すると、運動部が水泳、陸上競技、サウンドテーブルテニス(※)の3つ。「これは陸上だな」と。

※音の鳴るピンポン球を、アイマスクをした状態で打ち合い、点数を競う視覚障がい者のためのスポーツ

陸上部の長距離部員となった堀越は次第に競技にのめり込んでいく。

堀越 当時のタイムを振り返ると、今思えば相当遅いんです。それでも、純粋に走る楽しさと、記録が伸びる達成感を感じていました。

“本物”を肌で感じた初パラリンピック

パラリンピックの出場を意識したのは、大学1年生の頃。1500mで北京の派遣標準に肉薄したことがきっかけだった。以降、自己流でトレーニングを積み、2008年の北京パラリンピックの出場を決めてみせた。しかし、初めて立ったパラリンピックの舞台では、極度のプレッシャーに襲われたという。

堀越 大会前日はご飯を食べても吐きそうになったり、当日は朝食を食べられずゼリー飲料を2本飲んでレースに出たり……。どこかに、自分にもチャンスがあるかもしれないという思いがあって、それがかえってプレッシャーになってしまったのかもしれません。蓋を開ければ1500mではまったく歯が立たず、予選落ちもいいところ(5000mでは7位入賞)。こんなに差があるのか、と。ただ、北京に出場して良かったことは、“本物”を肌で感じられたということです。以降、練習により一層精を出すようになりました。北京パラリンピックが意識を改めるきっかけになったことは確かです。

“本物”を追求し、4度目のパラリンピックへ 【©?Hiroaki Yoda】

打ち砕かれたパラアスリートとしてのプライド

2012年のロンドンパラリンピックを前に、堀越は一つの転機を迎える。大学卒業間近、実業団陸上チームを持つNTT西日本からスカウトを受けたのだ。

堀越 私は大学で障がい者スポーツに関する研究を行っていました。具体的には、「ソーシャルロール・バロリゼーション(価値のある社会的な役割を獲得すること)」という概念と、障がい者スポーツを紐づけた研究をしていました。障がい者スポーツを観てもらったり、体験してもらったりすることで、障がいからくるネガティブなイメージをポジティブなものに変えていくことができるんじゃないか、という内容です。

卒業後は大学院でさらに研究を深化させようと考えていたのですが、大学卒業を控えた折に、NTT西日本から声をかけていただき、自分の進路に迷いました。大学院で師事する予定だった先生に相談に行くと、こんなことを言われました。「研究を通して社会を変えていくのか、競技者として社会を変えていくのか。方法は違っても行き着く先は一緒。競技をやめた時に、大学院に戻ろうと思えば戻れるけれど、逆はないかもしれない。だったら、今は、自分が実践者になる道を選んだほうがいいんじゃないか」と。学部生のときにお世話になった先生からも同様の助言をいたいたので、NTT西日本の加入を決心したんです。

実業団の陸上チームに加入して感じたことは「本物は違うな」ということだった。同僚は、学生時代に箱根駅伝で活躍したような選手たち。堀越にとって大いに刺激を受ける環境であった。

堀越 「自分はこの程度の選手だったのか」とショックでした。当時、私はパラスポーツ選手としてプライドも持っていましたが、「なんて恥ずかしいんだろう」と。同じ人間なんだろうか、と感じるほど、彼らは厳しい練習を飄々とこなしている。ただ、一つ言えることは、私自身も“本物”に近づこうと頑張っているアスリートだということです。今は、ブラインドマラソンの世界だけで速く走ろうなんて思っていません。健常者の選手と一緒に出るレースでも、「あわよくば入賞したる、見とけよ」という思いで走っています。

2012年のロンドンパラリンピックの5000mを入賞で終え、2016年のリオパラリンピックには、マラソンで出場した堀越。トラックからマラソンへの移行は自身の適性を踏まえてのものであったという。

堀越 もともとはトラック競技に生かそうと思ってマラソン練習を始めたのですが、長い距離を走ることに対してマイナスイメージがまったくなかったんです。「これはマラソンに向いているのかな」と思い、2014年冬の防府読売マラソンを初マラソンに選びました。35kmからは、吐きながら走って、歩いてを繰り返して、何とかゴール。そのとき、やめずに走りきったことが、今もプラスになっていると思いますね。

東京パラリンピックではリオの雪辱を

リオパラリンピックのマラソンで堀越は、同じ日本の岡村正広とのメダル争いに敗れ4位。自国開催のパラリンピックで雪辱に燃えるが、数度の故障に見舞われてしまう。網膜芽細胞腫の治療時に併発した白内障が進行し、2017年の夏には手術も行った。思うようにトレーニングができない日々と向き合いながら、活路を模索した堀越は同年秋に一つのヒントをつかむ。

堀越 目の状態が落ち着いてきた頃に練習を再開し、その年の大阪マラソンで、2時間28分のセカンドベストを出すことができたんです。そのときにやっていた練習が、長い距離をゆっくり走るというもの。それが今のスタイルにつながっています。私も31歳になりますから、若い頃にやっていた質も量も求める練習ではなく、やりすぎず、求めすぎない。その姿勢は、練習の継続性と効率性を追求した結果、生まれたものなんです。

東京パラリンピックに向けて、堀越は鋼を叩いて強化するかのごとく、己の体を研ぎ澄ませていく。2020年2月に開催される別府大分毎日マラソンで自己記録を更新し、大舞台に向けて春から再度、体を作る。それが本番に向けたロードマップだ。

堀越 (4位でメダルを逃した)リオでの悔しさは、東京で晴らすしかないと思っています。楽しいだけではやっていけないし、失敗することのほうが多い。それでも諦めずにやってこれたのは、東京パラリンピックという目標があったからです。これまでの思いをすべてぶつけて、とにかく結果を出したいと思っています。

北京パラリンピックをきっかけに抱いた「本物になりたい」という思いが原動力となってきた堀越。そのスタンスは、もちろん今も変わらない。

堀越 今世界で一番強いエルアミン選手は、自分より4分速く走る。良い競技環境を与えてもらっているなかで、自分に対して「何をやっているんだ」と思うこともあります。もっと早く走れる手応えはあるんです。

「夢は願うだけではなく、行動して初めて叶えられる」。堀越のポリシーだという。東京2020パラリンピックのマラソン競技は、新国立競技場が発着点。レース当日、フィニッシュラインを超える瞬間に、堀越は初めて“本物”になれるのかもしれない。

text by Naoto Yoshida
photo by Hiroaki Yoda

※内定選手について
現時点で各競技団体が東京パラリンピックに推薦する選手のこと。今後、日本パラリンピック委員会(JPC)の「東京2020パラリンピック競技大会日本代表選手団編成方針及び選手選考・決定手順」に基づき最終的に決定される。

※本記事は2019年8月に「パラサポWEB」に掲載されたものです。
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