悲願校
目指すは下北半島初の甲子園
大湊は亡き指揮官の遺志を継いで

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いい意味での根性野球。時代が変わっても大湊の「下北魂」は変わらない
いい意味での根性野球。時代が変わっても大湊の「下北魂」は変わらない【写真:読売新聞/アフロ】

 高校野球において監督の存在は大きい。チームが本気で甲子園を目指す、そして、その地を踏むには、まず監督が本気かどうかが絶対条件の一つといえよう。まだ甲子園出場校が存在しない、青森県下北半島から甲子園を狙い続けている公立校・大湊も、今は亡き1人の熱血監督が、この地に濃密な野球の灯をつけたことから物語は始まった。その灯を受け継ぐ人々の悲願校物語とは。

大湊野球部の歴史において欠かせない人物

 本州の「テッペン」、青森県の下北半島は、県都である青森市へはクルマを飛ばしても約2時間半。同じ県内だが、まるで隔離されたような場所に位置する。土地は火山灰によって形成されたローム層がほとんどで、農業に不向きである上に、本州最北端の地。寒さも厳しい。下北半島といえば死者と交信するイタコが有名な恐山信仰でも知られているが、「死の世界」のイメージ形成には自然環境も影響したという。


 そんな下北半島には、40年も前から「下北半島から甲子園」を合言葉に戦い続けている悲願校がある。それが下北半島の中核都市・むつ市の県立大湊高校だ。


 過去の戦績をまとめても1989年秋の県大会優勝を皮切りに、東北大会は6度出場。選抜あと少しまで迫り、21世紀枠の県推薦校には3度選出された。夏も県ベスト4が4回で、2009、2016年は準優勝。春も1992年に県を制している。集まる選手が限られる公立校、練習試合に出向くにも大変なこの土地でこの成績はなかなかだろう。

田澤健一郎

1975年生まれ、山形県出身。高校時代は山形県の鶴岡東(当時は鶴商学園)で、ブルペン捕手や三塁コーチャーを務める。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーランスの編集者・ライターに。野球などのスポーツ、住宅、歴史などのジャンルを中心に活動中。共著に『永遠の一球 〜甲子園優勝投手のその後』(河出書房新社)など。

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