唯一の私立未出場県・徳島 生光学園は県史上初の快挙を目指す
「徳島県初の私学の甲子園出場」を目指す生光学園。県内屈指の有力校であり続ける 【写真:読売新聞/アフロ】
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かなり強い、なのになぜ甲子園を逃すのか
が、じつはこの生光学園の野球部は強い。それもかなり強い。
初参加となった1981年の夏の徳島大会でいきなりベスト8。1985年春には初のベスト4入りを果たし、この頃から上位常連に。そして1995年夏、決勝に初進出。のちにプロで活躍する武田久(元・日本ハム)が2年生エースとして奮闘したが、1対16で鳴門に大敗。しかし、武田が残った新チームは同年秋には優勝。四国大会に進出する。だが、岩村明憲(元・ヤクルトほか)が主砲を打つ宇和島東に敗れ、選抜には手が届かなかった。
このとおり、生光学園の野球部は徳島県の有力校であり続けた。2006年には、付属の生光学園中学で「ヤングリーグ」所属の硬式野球部が発足。中高を通じて選手を育成できる体制もある。にもかかわらず、なぜ生光学園は甲子園を逃してきてしまったのか。
終盤になると過去の悪いイメージが…
現在、チームの指揮をとる河野雅矢監督も、甲子園初出場のカギのひとつはメンタルにあるのではないか、と考えている。
「そうは思いたくはないのですが、試合終盤になると、どうしても過去の敗戦など悪いイメージが頭をよぎるようで、精神的な弱さが出てきてしまうんですよね」
過去の敗戦、そこには惜しいところで勝利を逃してきた部の歴史の影響もゼロではないだろう。ゆえにそういった場面に負けない「信じる力」を養うメンタルトレーニングや指導を心がけている。「“徳島県初の私学の甲子園出場”を達成できるのは自分たちだけ。歴史をつくれるぞ」と、初出場のプレッシャーをモチベーションにつなげることもある。そんな精神面の教育は、野球そのものの指導だけではなく、生光学園の野球部で高校生活を過ごす意義にも及ぶ。
「部員はだいたい県内出身者が3割、県外出身者が7割といったところ。他校はすべて公立校なので県外出身者が野球部にいるチームはほとんどありません。だからウチで野球をすると、早くから徳島県以外の土地の人間や文化に触れられるので、広い視野を持てる。学校も、私学ならではの人脈や取り組みがありますから、いろいろな人、いろいろな野球人、いろいろな世界を知ることができる。それは徳島の他校にはない魅力です」
河野監督は「何ごとも目先の感覚だけでとらえてほしくない。その先にある未来、世界を意識してほしい」が指導のモットー。生光学園の環境は、その志向にも合う。
「正直なところ、ウチが1回か2回、甲子園に出場したくらいで、徳島県の公立志向が劇的に変わるわけではないと思うんです」
たった1校だけの私立。長い歴史を積み重ねてきた公立。甲子園に出場したからといって、いきなり県内の入部志望者が激増するほど甘くはないだろう。だが、それでもいい、と覚悟は決めている。もちろん、県内の入部志望者が増えればうれしいが、「生光学園で野球がしたい」という選手であれば、県内だろうが県外だろうが関係ない、というのが基本スタンス。河野監督の話を聞いていると「公立だ私立だ」という感覚は、超越しているように感じた。
追い求めるのは「公立」や「私立」という概念を取っ払った「生光学園」の野球。生光学園が甲子園をつかむ日は、選手たちもそんな心境に至ったときなのだろう。
※本記事は書籍『あと一歩!逃し続けた甲子園 47都道府県の悲願校・涙の物語』(KADOKAWA)からの転載です。掲載内容は発行日(2019年4月19日)当時のものです。
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