連載:あと一歩!逃し続けた甲子園 47都道府県の悲願校・涙の物語

唯一の私立未出場県・徳島 生光学園は県史上初の快挙を目指す

田澤健一郎

「徳島県初の私学の甲子園出場」を目指す生光学園。県内屈指の有力校であり続ける 【写真:読売新聞/アフロ】

 私が悲願校ウォッチングを始めてから、ずいぶんと長い時間が経った。それはたくさんの高校が「悲願校」を卒業していったということでもある。その中で徳島の生光学園は、「古株」の悲願校。単純な県内上位進出成績では全国有数の悲願校といえるだろう。だが、生光学園の悲願には、全国で唯一、徳島県だけが甲子園の歴史に刻んでいない快挙もかかっている。今春には取材時の河野雅矢監督が部長になり、幸島博之部長が監督に就任するなど、悲願成就へ向けてテコ入れを行った生光学園の偉業にかける思いとは?

かなり強い、なのになぜ甲子園を逃すのか

 高校野球が私立全盛時代になって久しい。かつての公立名門校が、甲子園どころか県大会でも苦戦している例もよく見かける。そんな中、意外にも夏の49地区に1地区だけ、いまだ私立校の甲子園出場がない地区がある。それが徳島県だ。ただ、徳島県には私立校が3校しかない。さらに3校の中で硬式野球部があるのは1校、生光学園のみなのだ。ただ、そもそも1校しか私立校が参加していないのだから、私立校の出場確率は低い。つまり、その1校、生光学園の野球部が弱ければ「私立の甲子園出場ゼロ」記録は比較的容易に継続されていくわけであり、騒ぐほどの記録ではない。

 が、じつはこの生光学園の野球部は強い。それもかなり強い。

 初参加となった1981年の夏の徳島大会でいきなりベスト8。1985年春には初のベスト4入りを果たし、この頃から上位常連に。そして1995年夏、決勝に初進出。のちにプロで活躍する武田久(元・日本ハム)が2年生エースとして奮闘したが、1対16で鳴門に大敗。しかし、武田が残った新チームは同年秋には優勝。四国大会に進出する。だが、岩村明憲(元・ヤクルトほか)が主砲を打つ宇和島東に敗れ、選抜には手が届かなかった。
 以降、夏は4強10回。2011、2018年にも決勝進出したが準優勝。秋も、2013、2016年に優勝。準優勝も3回、3位が5回、4強が6回。特に2013年は四国大会でも4強に進出したが、同県対決となった池田との準決勝に3対9で敗戦。選抜は補欠校となった。春も、2002、2007、2013年と3度優勝。秋春ともに県内ベスト8、ベスト4は数多い。また出身プロ野球選手も前出の武田を含め合計4人。悲願校を成績に応じてポイント化したランキングでは堂々全国1位である。

 このとおり、生光学園の野球部は徳島県の有力校であり続けた。2006年には、付属の生光学園中学で「ヤングリーグ」所属の硬式野球部が発足。中高を通じて選手を育成できる体制もある。にもかかわらず、なぜ生光学園は甲子園を逃してきてしまったのか。

終盤になると過去の悪いイメージが…

 現地のメディア関係者に聞くと、過去、どうしても勝負どころでの弱さが目につくと話す。また、県内唯一の私立で県外出身者も多いチーム構成。どうしても徳島商や鳴門といった強豪以外の公立校も「生光には負けられない」と意地を剥き出しにして向かってくることがあるという。そんな中で劣勢となると、気迫に押されただけではないのだろうが、結果的に粘れず踏ん張り切れず、勝ち切れない。そんな試合を繰り返してきた。

 現在、チームの指揮をとる河野雅矢監督も、甲子園初出場のカギのひとつはメンタルにあるのではないか、と考えている。

「そうは思いたくはないのですが、試合終盤になると、どうしても過去の敗戦など悪いイメージが頭をよぎるようで、精神的な弱さが出てきてしまうんですよね」

 過去の敗戦、そこには惜しいところで勝利を逃してきた部の歴史の影響もゼロではないだろう。ゆえにそういった場面に負けない「信じる力」を養うメンタルトレーニングや指導を心がけている。「“徳島県初の私学の甲子園出場”を達成できるのは自分たちだけ。歴史をつくれるぞ」と、初出場のプレッシャーをモチベーションにつなげることもある。そんな精神面の教育は、野球そのものの指導だけではなく、生光学園の野球部で高校生活を過ごす意義にも及ぶ。

「部員はだいたい県内出身者が3割、県外出身者が7割といったところ。他校はすべて公立校なので県外出身者が野球部にいるチームはほとんどありません。だからウチで野球をすると、早くから徳島県以外の土地の人間や文化に触れられるので、広い視野を持てる。学校も、私学ならではの人脈や取り組みがありますから、いろいろな人、いろいろな野球人、いろいろな世界を知ることができる。それは徳島の他校にはない魅力です」

 河野監督は「何ごとも目先の感覚だけでとらえてほしくない。その先にある未来、世界を意識してほしい」が指導のモットー。生光学園の環境は、その志向にも合う。

「正直なところ、ウチが1回か2回、甲子園に出場したくらいで、徳島県の公立志向が劇的に変わるわけではないと思うんです」

 たった1校だけの私立。長い歴史を積み重ねてきた公立。甲子園に出場したからといって、いきなり県内の入部志望者が激増するほど甘くはないだろう。だが、それでもいい、と覚悟は決めている。もちろん、県内の入部志望者が増えればうれしいが、「生光学園で野球がしたい」という選手であれば、県内だろうが県外だろうが関係ない、というのが基本スタンス。河野監督の話を聞いていると「公立だ私立だ」という感覚は、超越しているように感じた。

 追い求めるのは「公立」や「私立」という概念を取っ払った「生光学園」の野球。生光学園が甲子園をつかむ日は、選手たちもそんな心境に至ったときなのだろう。

※本記事は書籍『あと一歩!逃し続けた甲子園 47都道府県の悲願校・涙の物語』(KADOKAWA)からの転載です。掲載内容は発行日(2019年4月19日)当時のものです。
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1975年生まれ、山形県出身。高校時代は山形県の鶴岡東(当時は鶴商学園)で、ブルペン捕手や三塁コーチャーを務める。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーランスの編集者・ライターに。野球などのスポーツ、住宅、歴史などのジャンルを中心に活動中。共著に『永遠の一球 〜甲子園優勝投手のその後』(河出書房新社)など。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント