南の楽園に完成した「夢のピッチ」 サイパンサッカーの成長支える日本人たち
18年7月、かねてから地元の人々の念願であった初の人工芝サッカーフィールドが完成した 【提供:上野直彦】
歴史的に日本にとってなじみのあるサイパンは、日本から直行便では3時間半ほどで到着する、文字通り南の楽園だ。90年代、サイパンには多くの日本人観光客が訪れ、家族連れや多くの若者で溢れる人気の観光スポットだった。だが2018年5月に直行便がなくなり、グアムなどでの乗り換えが必要になると多くの旅行客やトレーニングキャンプが目的のアスリートがグアム止まりとなり、サイパンへ足が完全に遠のいてしまった。
そのサイパンが、今変わろうとしている。しかも、サッカーを通してである。
18年7月、かねてから地元の人々の念願であった初の人工芝サッカーフィールドが完成したのだ。施工・プロデュースを手掛けたのはフットボール用品ブランド「SFIDA」で知られる株式会社イミオ。サッカー経験者なら迷わずそのピッチを駆け出したくなるような、緑色が映える最新の人工芝のフィールドである。誕生に至るまでにどのような経緯があったのだろうか。尽力した北マリアナ諸島サッカー協会(NMIFA)の会長、そしてサイパンサッカーの成長を陰で支える日本人の指導者たちに話を聞いた。
協会会長の半端ないサッカー愛
サッカーを愛してやまない北マリアナ諸島サッカー協会のジェリー・タン会長 【NMIFA】
北マリアナ諸島サッカー協会のジェリー・タン会長は、サッカーを愛してやまない人物だ。毎週日曜日には会社経営の仕事やプライベートのスケジュールをすべて空けて、所属するサッカーチームで選手としてプレーし、ワールドカップは必ず開催国に赴いて視察する。そのサッカー愛は半端なものではない。ちなみに会長のポジションはFWである。
地方自治体から4万平方メートルの土地の提供を受けたタン会長は、サイパン初の人工芝グラウンドとトレーニング施設の建設に向け、先頭に立って資金調達をはじめ、政府やコミュニティーの建設賛同の調整などフルに活動した。そして18年7月3日、ついに竣工式を迎えることになった。
「新しいグラウンドがあれば、選手たちのパフォーマンスが向上し、北マリアナ諸島におけるサッカーのレベルも上がる。そして、北マリアナ諸島のサッカーの人気が上がり、多くの子どもたちがプレーしたくなると考えました。サッカーを通じ、青少年の健全な育成や地域の発展の拠点になればという思いがありました。人工芝なら、選手たちのケガのリスクも抑えられます」
竣工式の日にタン会長は、今回の人工芝のグラウンド完成の意義と意味、未来への価値を語った。
新グラウンドのこけら落としとなった試合は、“ライバル”グアムとのダービー戦、通称「マリアナカップ」だ。年に一度行われている大会で、この時はサイパンのホーム戦としてグアムの男女ユースチームを迎え入れた。注目を集めたこの大会にスタンド収容人数500人を優に超える超満員の観客が訪れた。グラウンドの周りにも観客は溢れ、大いに盛り上がり、試合後にはナショナルチームに入りたいと何人もの選手が申し出たという。
グラウンド誕生でサイパン社会にも変化
サイパンでは観客や家族の観戦が増えた。写真は18年10月に行われた「マリアナカップ」でのもの 【NMIFA】
「選手たちの意識の変化やパフォーマンスの向上を感じます。そして、観客や家族の観戦が増えました。サッカーの試合は今、安全できれいな会場で開かれるという安心感があります。選手たちもやる気が出て、保護者たちも、子どもが野外で健全な運動に励んでいると喜んでいます。地域や政府関係者たちの意見も好意的で、他のスポーツも触発され、トレーニング施設を充実させたいという機運が高まっています」
また、サイパンの歴史において画期的な出来事となった人工芝のグラウンド誕生は、サイパン社会にも大きな変化をもたらした。
18年10月25日未明、大型で猛烈なスーパー台風26号が北マリアナ諸島を直撃した。甚大な被害が出たものの、AFC(アジアサッカー連盟)の再建支援もあって、今季のリーグ戦へのチーム登録選手数は減るばかりか増加。「サッカーが、北マリアナで日常生活の一部になってきた」とタン会長は語る。
北マリアナ諸島圏は元々、とても家族同士のつながりが強い土地柄だ。子どもたちがサッカーを始めると、家族全員がスポーツに関わり始める。サッカーが人や家族をつなぎ、人々が健康的な生活を送るための絆となっている。