清原和博への告白

『心の傷』清原にしか負けなかった重圧
清原和博に敗れた男たちの告白

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PL学園戦で先発した京都西・真鍋。しかし初回に6失点、わずか23球で降板した
PL学園戦で先発した京都西・真鍋。しかし初回に6失点、わずか23球で降板した【写真提供:真鍋知尚さん】

1984年春 2回戦

京都西 1−10 PL学園


 1984年春、PL学園は前年夏の勢いそのままに、甲子園で躍動していた。2回戦、京都西高校でも、その打棒は冴え渡った。

 京都西のエース・真鍋知尚。2番手で、エースを凌ぐ球を投げていた関貴博。時と場所は違えど、2人は共に、清原に本塁打を打たれている。

 その一発は、2人の人生にどんな影響を与えていったのだろうか――。

試合当日に先発変更を告げられて。

 PL学園が1試合6本のホームランを打った――。

 1984年3月28日、京都西の関貴博はそのニュースを大阪市内の宿舎で見ていた。不思議な高揚感があったのを覚えている。京都西は1回戦を突破し、2回戦で、その王者と対戦することになっていたのだ。

「関、PL戦、頭(先発)でいくぞ」

 監督の三原新二郎には、すでにそう告げられていた。

「ワクワクしていましたね。打たれて当たり前の相手ですから、自分のまっすぐとカーブがどこまで通用するか、試してみたい気持ちでした」

 1回戦で特大のホームランを放っている清原和博に対しては、特にその気持ちが強かった。

 ところが、試合当日、甲子園のベンチ裏で昼食を食べていると、三原に呼ばれた。

「先発は真鍋でいく」

 思いあたるのは、前日、調子が上がらなかったブルペンだ。

「わかりました……」

 関はうなずくしかなかった。

鈴木忠平

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