創意工夫が生み出す人馬一体 強化進むパラ馬術、騎手たちの挑戦
高嶋は落馬事故でジョッキーを引退
高嶋活士は落馬事故の影響でジョッキーを引退したが、現在はパラ馬術の舞台で活躍を続ける 【写真:吉田直人】
2011年3月にデビューし、12年からは障害競走にも出場するようになるが、13年のレースで馬が障害の飛び越えに失敗し、落馬。脳挫傷により右半身まひの障がいを負った。復帰に向けてリハビリに取り組んでいたが、15年9月に引退を表明。パラ馬術との出会いもその頃だった。騎手の先輩である常石勝義が、同じく落馬事故で引退後、パラリンピックを目指していることを知ったのだ。
「引退するか、しないかというタイミングで、ネットのニュースで常石さんが20年の東京大会を目指しているということを知りました。そういう道もあるんだなと思い、挑戦してみようと」
その頃には、騎乗できるほどまで回復していた高嶋であったが、「当初は全然思い通りにいきませんでした」と、“馬を駆る”状態からは程遠い状況だった。
「馬に右半身のハンディが伝わってしまって、乗りこなすのに苦慮していました。まっすぐ歩こうとしても、どうしても右に寄ったり、曲がったりしてしまうんです」
右半身にハンディがある状態を、馬になじませる必要があった。騎乗時に重視していることは、「力まず、緩まず、壁を作る」ことだという。
「壁を作る」。高嶋の言葉で言えば、「それ以上はいけないというイメージを馬に伝え、理解させること」。つまり、右側に馬が寄りすぎないように、限界点を覚えさせるということだ。ひたすら馬に乗り続け、騎乗感覚を研ぎ澄ました。トレーニングでは、競技会で披露するものより難易度の高い技を行い、本番で余裕を持てるよう意識している。試技時は「左右のバランスをなるべく均等にする」ことがポイントだという。右半身の状態を馬に理解させ、かつ、自由が利く左半身の力加減を調節する。高嶋は、繊細な体のコントロールを段階的に身につけていった。
始めた翌年の16年には、グレード4の選手として『全国障がい者馬術大会』で優勝を飾る。17年に第1回が開催された『全日本パラ馬場馬術大会』でも総合優勝すると、18年はリオデジャネイロ大会出場の宮路を抑えて連覇を達成。早くも国内を代表する選手に成長しつつあると言っても過言ではないだろう。
競技を芸術へ昇華させる
「人の気持ちを馬も理解するので、イライラすれば馬もイライラするし、リラックスすればまたしかり。たとえば右に曲がりたい時、人は少し右を向きますよね。それが馬にも伝わって右に行きやすくなる。選手1人1人がいろいろな工夫をして乗っているので、その点もパラ馬術の魅力だと思います」
18年シーズンは、海外遠征にも挑戦した。4月にベルギー、7月にドイツでの競技会を経て、9月には米国で開催された世界選手権にも出場したが、いずれも下位に甘んじた。「まだ、とても世界にかなうレベルではないです」と、さらなる飛躍を誓う。19年は愛馬「ケネディ」とともに、国内大会をメインに競技会をこなしていく予定だ。
「サラブレッドは生きた芸術品とも言われています。きれいな動きをさせることができるかは選手次第。人馬一体になると、馬も人もすごく楽しそうに見えるんです。馬とともに少しでもスキルを高めて、東京大会の出場を目指していきたいです」
高嶋の穏やかな表情は、馬にまたがると、より和らいで見える。ジョッキーとしての道は諦めざるを得なかったが、新たに見いだした道の先に、2020の馬場を見据えている。
「百獣の王」武井壮さんがパラスポーツを体験、トップアスリートとの真剣勝負に挑みます。2月22日(金)は「パラ馬術」。戦いの結果は…。どうぞお楽しみに!