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堂安律は“屈辱感”を胸にリベンジを誓う
長友も期待を寄せる、ずば抜けた向上心

堂安「経験や成長のために来た訳ではない」

日本は決勝でカタールに1−3で敗戦。A代表の主力として初の公式大会で、堂安は屈辱感を味わった
日本は決勝でカタールに1−3で敗戦。A代表の主力として初の公式大会で、堂安は屈辱感を味わった【写真:松尾/アフロスポーツ】

 2月1日にアブダビのザイード・スポーツ・シティスタジアムで行われた2019年アジアカップ決勝。伏兵・カタールに3失点を喫した日本は苦境を跳ね返せないまま、1−3で無情にもタイムアップの笛を聞くことになった。背番号21を付ける堂安律も呆然とピッチを見つめ、しばらく動けない。表彰式の間も両手を腰に置き、じっと黙って悔しさを押し殺していた。


「優勝するために来たし、それしか考えてなかった。経験とか成長とか、そのために来た訳ではないですから。本当に自分の責任で負けたと感じます」


 試合後にこう語気を強めた20歳の若武者にとって、A代表の主力として初の公式大会は屈辱感ばかりが残った。


 1月9日の初戦・トルクメニスタン戦で決勝点となる左足シュートを決めた時点では悪くない滑り出しと見られたが、その後はゴールを奪えず、結果を残せない時間が続いた。24日の準々決勝・ベトナム戦でVAR判定によって自ら得たPKを沈め、2ゴール目を挙げたものの、目立った結果はそれくらい。若き新戦力の初舞台としては健闘したものの、「日本を優勝させる」と息巻いていた男にとっては納得のいかない結末に他ならなかった。


「本当に腹立たしいというか、そういう思いを自分に対して感じています。それを発散できるのはピッチの上しかない。今、ここで何かを変えたいと言っても変わらないので、トレーニングや試合から、変えていきたいと思っています」と若きアタッカーはリベンジを誓うしかなかった。


 ただ、アジアを制すること、日本代表を勝たせることの厳しさと難しさを再認識したことは、堂安の今後にプラスに働くはず。自らを飛躍させる術(すべ)を真剣に模索するいいチャンスを得たと言ってもいいだろう。

中島の負傷離脱で「新2列目トリオ」はそろわず

中島が負傷離脱したことにより、南野、堂安との「新2列目トリオ」はそろわなかった
中島が負傷離脱したことにより、南野、堂安との「新2列目トリオ」はそろわなかった【写真:松尾/アフロスポーツ】

 森保一監督率いる新生日本代表が発足した昨年8月に初招集された堂安は、すぐさま攻撃陣の軸と位置付けられた。堂安と南野拓実、中島翔哉からなる「新2列目トリオ」が18年の親善試合で見せた機動力と推進力はすさまじく、アジア王者奪回の切り札になるという期待も高まった。


「描いている絵が3人とも同じ瞬間が多いし、共通意識を持ってプレーできているのかな」と最年少アタッカーも大きな手ごたえを口にしており、3人そろってアジアカップで大暴れしてやろうといった野心も少なからず見て取れた。


 ところが、新10番の中島が大会直前に右ふくらはぎの負傷で離脱。「翔哉君がボールを持った時の自分の動き出しは、あの人のおかげで磨かれた僕の武器なので。本当に痛いというのが正直な感想です」と堂安自身も落胆を口にした。ただ「タメを作るプレーは僕自身もできると思っているので、意識しながらやっていきたい」とも語り、頭を切り替えて、自らが中島の役割も務めていく意欲を口にした。


 だが、日本は初戦から予想以上に厳しい入りを強いられた。現地時間15時キックオフで気温30度超えという猛暑に見舞われる中、コンディションが上がり切っていない日本選手の動きは重く、堂安自身もファーストタッチが止まらず苦しんだ。「ボールを失ってからの切り替えもすごく遅い」と感じていたという。


 前半27分の1失点目は、堂安の不用意な横パスをカットされたのがきっかけ。「今大会で起こる全てが想定内」と本人は繰り返していたが、初戦から0−1のビハインドを背負って試合を折り返すことになるとは夢にも思っていなかっただろう。「それでもハーフタイムには謝るつもりはさらさらなかった」と若武者は言い切る。言葉で詫びるより結果で取り返すことが肝心だと考えたからだ。


 後半に入って大迫勇也の2発で逆転し、堂安もようやく躍動感を取り戻した。そして後半26分、南野のスルーパスを受け、巧みな反転で左足を一閃。ネットを豪快に揺らし、3点目を奪うことに成功した。「来た瞬間から打つと決めていました。パンチ力があるシュートを持っているので、それを出そうと意識しました」と強気を貫いた一撃が決勝点となった。


 この働きをチーム全体が前向きに受け止めたが、特に喜んだのが大会を通して行動を共にした“師匠”の長友佑都。「20歳で公式戦に出てミスをしたら普通はナーバスになって仕掛けられなくなる選手がほとんど。律はそれでも仕掛けていた。点が取れてよかった」と安堵(あんど)感を吐露していた。

元川悦子
元川悦子

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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