「長谷部の後釜」へ大きく前進した遠藤航 ボランチとして、日本の中核を担う存在へ

元川悦子

紆余曲折を経たボランチコンビの思い

日本代表のボランチは08年から15年まで長谷部(左)と遠藤保仁のコンビが鉄板だった 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 17日のウズベキスタン戦は大幅メンバー入れ替えがあって、遠藤と柴崎はベンチスタート。青山・塩谷司コンビが新たなオプションをもたらしたが、青山が右ひざ負傷再発で帰国を強いられる新たなアクシデントが発生。決勝トーナメント以降は遠藤・柴崎コンビが連続出場せざるを得ない状況に陥った。

「もともと7試合全て出るつもりで来ている」と背番号6は強い責任感を口にしていたが、ボール支配率23.7%と守勢に回った21日のラウンド16・サウジアラビア戦、逆に主導権を握りながら苦しんだ24日の準々決勝・ベトナム戦と、2試合続けてインテンシティーの高いゲームを短期間で戦ったことで、左太ももに大きな負荷がかかった。「もともと痛みはあった」とイラン戦後に打ち明けたが、「調子が良かったし、プレーできるだろうと思っていた」と話したように、遠藤の動き自体は非常に良かった。守備と攻撃を連動させる効果的な働きを見せていたと言える。

 とりわけ、サウジアラビア戦では一瞬たりとも集中を欠くことのできない緊張感の中、「相手にボールを回させておけば問題ない」と余裕を持った守備ができていた。

「大事なのはボランチ2人の裏を取られないこと。僕らの前でボールを動かされている分には問題ないとハーフタイムにも話をしていたし、やっていても感じていました。前の選手はキツかったと思いますが、比較的イメージ通りの戦い方をしていたと思います」と精神的にブレることは一切なかった。それだけの余裕を持てたのも、惨敗したリオ五輪、ベンチで悲哀を味わったW杯ロシア大会、ボランチとして実績を積み重ねるベルギーでの新たな日々と、多彩な経験を糧にしてきたからだ。

 あらためて振り返ると、日本代表のボランチは08年から15年まで遠藤保仁と長谷部の鉄板コンビが君臨。遠藤保仁が去った後は長谷部に依存する状況だった。そこからロシアまでは山口蛍や井手口陽介らが入れ替わるように起用され、遠藤航にも何度かチャンスが与えられながら、定着しきれなかった。その経験もまた、現在への成長につながっている。それはレギュラー獲得まで時間を要した柴崎にも通じるところ。紆余(うよ)曲折があったからこそ、2人には「森保ジャパンを自分たちで動かしていく」という強い思い入れがあるはず。それがサウジ戦以降のタフな戦いにはよく出ていたのではないか。

「長谷部超え」に必要なのは得点力

森保ジャパンの大黒柱へ、遠藤にかかる期待は大きい 【写真:松尾/アフロスポーツ】

 だからこそ、ファイナルの舞台にはそろって出場してほしかった。塩谷も持てる力を最大限に発揮したが、柴崎とのボランチコンビは公式戦初のこと。距離感がうまく取れないのも当然だった。日本は5−3−2布陣で挑んできたカタールに対して、マークがはまらず、プレスがかからない状態に苦しんだが、遠藤と柴崎の慣れた2人なら早い段階で修正できた可能性はある。

 相手の先制点はハサン・アルハイドスが中盤から左に展開したのがきっかけだったが、そこで攻撃の芽をつぶせていたら、失点は阻止できたかもしれない。前半27分の2失点目も中盤のギャップにアクラム・アフィフに飛び込まれた形で、やはりボランチの連係に難が見られた。そこで遠藤がどう対応し、周りを動かしていたかを見極められなかったのは森保監督にとっては心残りな点かもしれないが、もちろん本人が一番悔やんだことだろう。

「前の選手(アルモエズ・アリとアフィフ)とシャドウの選手(アルハイドスとアブデルアジズ・ハティム)がローテーションしながら縦に来ていたので、シャドウが抜けたのに対してはセンターバックが受け渡せればよかった。ボランチが付いて行きすぎて真ん中を空けてしまった」と遠藤はベンチで試合の行方を見守りながら、いち早く問題点に気づいていた。その戦術眼とインテリジェンスを世界の大舞台でコンスタントに出せるようになること。それが、遠藤に課せられた直近のテーマになってくる。

「代表でスタメンをつかんだとは思っていない」と本人が言うように、遠藤はまだ発展途上で、攻守両面で物足りなさもある。その1つが得点力だ。ベトナム戦の後半7分のミドルシュートがGKに防がれた場面に象徴されるが、フィニッシュの力強さを備えているのにもかかわらず、結果が伴っていない。長谷部も114試合ものキャップ数がありながら、得点はわずかに2だった。「長谷部超え」を果たすためにも、ゴールにこだわることが肝要ではないか。

 さしあたって、まずは左太もものけがを治し、万全の状態を取り戻すこと。そして次の代表の舞台でより大きな存在感を示すこと。それが、森保ジャパンの大黒柱を目指す遠藤に課せられた重要命題だ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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