日本、準優勝も「CB問題」は終焉か 大会MVP級の働きを見せた冨安健洋

元川悦子

今大会で急成長した20歳

全7試合に出場し急成長を見せた20歳の冨安健洋 【写真:ムツ・カワモリ/アフロ】

 日本の8年ぶり5度目のアジアカップ制覇が有力視されていた1日の決勝・カタール戦。しかしプレスのかけどころを定められなかった日本は試合の入りに失敗し、前半12分と27分に立て続けに失点。流れを引き戻せないまま1−3で苦杯を喫し、悲願のタイトル奪回を逃すことになった。

「何よりも2点目を取られてはいけなかった」とキャプテン・吉田麻也が猛省し、攻撃陣のリーダーである大迫勇也も「自分たちで修正はできたけれど、0−2になってからだったので遅かった。経験のある選手がもっと試合の中で変えるべきだった。そこは申し訳ない気持ちもある」と神妙な面持ちで語ったように、2022年ワールドカップ(W杯)カタール大会に向けた新生ジャパンのファーストステップは不完全燃焼感が残る形で幕を閉じた。

 こうした年長者たちの言葉を、今大会期間中に急成長した20歳のセンターバック(CB)・冨安健洋はしみじみとかみしめていた。

「前半は特に難しかったかなと。変えようと思っても簡単にポンと変えられるものでもないし、そこに気づいて変えるだけの余裕のある選手がどれだけいたのか。僕は正直、そこまでの余裕はなかった。まだまだかなと思います」と自身の未熟さを痛感したという。

 それでも冨安はカタール戦の3失点には絡んでいない。大会を通しても、全7試合に出場して一度も致命的なミスを犯さなかった。「外から見ていて麻也とトミ(冨安)のコンビはすごくいい。麻也を長く見てきましたけれど、今までで一番合っている気がする。どっちも出ていけるし、ガッツリ相手を削れるし、カバーリングとか気配りもできる。それに足元もある。あれで20歳っていうのはすごい」とロシアW杯16強戦士の乾貴士も驚きを口にしたほど、188センチの若き長身DFの一挙手一投足は大きなインパクトを残した。

 もしも日本が優勝していたら、最年少MVPを受賞した可能性もあったくらい、彼の劇的な進化は大きな意味を持つものだった。

森保監督も今大会で重要視

初戦のトルクメニスタン戦では急きょ柴崎とのボランチで出場した 【写真:ムツ・カワモリ/アフロ】

 森保一監督率いる新生ジャパンが発足した2018年9月、冨安はA代表に初招集された。「(19歳での初代表を)思い描いていたわけではないですけれど、試合に出続けて活躍していれば声はかけていただける。プロサッカー選手はそういうものだと思います」と彼はまるでベテラン選手のような落ち着いた口ぶりで初合宿に参加。コスタリカ戦こそ出番なしに終わったものの、そこから継続的に呼ばれ始める。10月のパナマ戦で初キャップを飾り、11月のベネズエラ戦で好パフォーマンスを披露するなど、指揮官や周囲の信頼を着実に深めていった。

 しかしながら、今大会開幕前は吉田のパートナーが誰になるのかはハッキリしなかった。ロシア組の槙野智章、18年の親善試合5戦のうち3戦に先発した三浦弦太と冨安が横一線の状態だったからだ。そんな時、守田英正の負傷離脱、遠藤航の発熱というボランチのアクシデントが立て続けに起きた。森保監督はサンフレッチェ広島時代の秘蔵っ子である塩谷司を緊急招集したものの、ボランチ経験が多くないのは事実。そこで9日の初戦・トルクメニスタン戦は冨安と柴崎岳を中盤で組ませるという緊急避難策を講じ、槙野を最終ラインに入れる形で戦った。

 この試合はご存知の通り、前半から失点を食らう乱戦となった。後半に大迫の2発と堂安律のゴールで逆転したものの、終盤にPKで再び1点差に詰め寄られ、最後まで守備陣のバタバタ感が拭えなかった。冨安も「アビスパ福岡時代以来」という久々のボランチに戸惑い、柴崎との距離感がうまく取れずに苦しんだが、若手らしい積極性と意気込みを押し出し、3−2の逃げ切りに貢献した。

 その前向きなパフォーマンスを評価した指揮官は「今大会は冨安を使い続ける」と決意したのだろう。続く13日のオマーン戦からは最終ラインに下げて吉田の相棒に固定。17日のウズベキスタン戦でも逃げ切り要員としてラストの時間帯に投入するほど、これまで以上に若きDFを重要視し始めた。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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