杉本健勇はなぜ浦和レッズへ移籍したのか 背番号「14」は自分への挑戦

原田大輔

背番号「14」の重み

「『14』が空いていると分かったときも、一瞬、どうしようかなと悩みました」と杉本 【石田祥平】

――今回の移籍には、3年後のワールドカップ(W杯)・カタール大会を見据えてという思いもあったのでしょうか?

 これも正直に話せば、以前はあったんですよ。だから、以前の自分は、こうしたインタビューでも、そこも含めて移籍を考えているという発言をしてきたんです。でも、最近、自分自身を改めて見つめ直して、ちょっと心境は変わりました。先ほどの話に通じているんですけれど、3年後に自分自身がどうなっているかなんて、自分も含めて誰も分からないじゃないですか。もちろん、先のことを考えてプレーしていくことも大事ですけれど、それ以上に大事なのはこの1年であり、1カ月であり、1日。その一瞬であったり、1試合をがんばれない選手が、その先に到達できるわけがない。

 実際、今、日本代表に選ばれていても、3年後のW杯で日本代表に選ばれるかどうかなんて分からない。僕は、最後に選ばれればうれしいですし、そのためにも、これからの1年であり、1カ月、目の前のことに全力を注いでいくことが大事なんじゃないかなって思えるようになった。きっと、みんなそうだと思うんですけれど、どこかに弱い自分を持っていると思うんです。でも、そこに勝てるかどうか。だからこそ、1日の練習や試合において、自分自身に勝てるかどうかだと思うんですよね。

――そういう心境にたどり着けたことも含めて、考えた時間は無駄ではなかったのかもしれないですね。自分を追い込むという意味では、レッズに加入する際に、平川忠亮選手がずっと付けてきた背番号14を選んだことも、追い込んでいるような気もします。

 レッズにとって『14』という背番号に重みがあることは、自分自身も分かっているつもりです。そういう意味ではかなり自分自身を追い込んでしまっているかもしれないですね。でも、それくらいプレッシャーを背負ってやっていかなければいけないとも思ったんです。もともと、ヨハン・クライフが好きだったので、背番号14という数字には思い入れがありました。これまでのキャリアで、付けるタイミングはなかったんですけれど、本当に好きな番号だったんです。

 でも、今言ったように、レッズにおいて14番というのは、ずっと平川さんが付けてきた番号だということも知っていました。平川さんはレッズ一筋でプレーしてきて、タイトルも含めて、ずっとレッズとともに歩んできた選手。だから、『14』が空いていると分かったときも、一瞬、どうしようかなと悩みました。でも、他の人がこの番号を背負って、自分が後悔するのであれば、自分が付けて後悔するくらいのほうがいいなって思った。平川さんには電話でしたけれど、自分が背番号14を背負わせてもらいますということは伝えさせてもらいました。そのとき、嘘かもしれないけれど『付けてくれてうれしいよ』と言ってもらえたんです。ここで活躍して、もう一度、その言葉を言ってもらえるようになりたいですね。レッズのサポーターやファンの方たちは、平川さんの名前が入った背番号14のユニホームを着ている人も多いとは思いますけど、自分が活躍して、いつの日か『KENYU』という名前の入った背番号14のユニホームを着ている人が、スタジアムに増えていくようにしたいですよね。

「何でもこなせる選手になる」

目指すストライカー像は「何でもこなせる選手」と話す 【石田祥平】

――ストライカーというポジションについての話も聞かせてください。自分自身の特徴であり、強みはどこにあると感じていますか?

 昔から、何でもこなせる選手になることを目指していますし、理想ともしているんですよね。だから、そこが強みでもあると思っています。ただ、そこを追求しすぎるあまり、逆にいろいろなところに支障が出てしまうという課題も感じています。例えば、足下でボールを受けることができるからこそ、足下で受けすぎてしまったり……。ときには、それが自分のウィークポイントになってしまうこともある。だから、攻撃のところで言えば、今季はとにかくゴール前で勝負したい。相手との駆け引きも含めて、ゴール前での動きは一番大事にしたいなって。

 自分がレッズで得点するイメージは、かなりできているんですけれど、それが想像できるのは、ここには線ではなく、点で合わせることのできる選手がたくさんいるから。パサーも多いし、スルーパスにしろ、クロスにしろ、合わせてもらえると思う。

――そのために自分自身がやらなければならないこととは?

 ありきたりな言葉になってしまうかもしれないですけれど、しっかりとコミュニケーションを取っていくことですよね。自分もきちんと要求していけば、きっとゴールは奪えると思っています。自分が得点を取れていたときを振り返ると、チームメートが空けてくれたスペースを僕が使ったり、他の選手がニアに飛び込んでくれて、僕がファーに走り込んだことで決めることができた得点が多かった。もちろん、自分自身で突破して決めたゴールもありましたけれど、その多くは、パスの出し手であり、仲間の動きがあって決めることができた得点ばかり。

 17年に22得点したことで、昨季は相手の警戒も強くなり、クロスから得点することができなくなってしまった。そこは自分自身でもさらに分析して、レッズで練習しながら突き詰めていきたいですし、周りとも合わせていきたい。試合前は、いくらでもこうしよう、ああしようという話はできると思うんですよね。でも、実際の試合になれば、また状況は変わってくる。そうしたときにしっかり対応できるようにしたいなって思っています。

――少し意地悪な質問をさせてもらいますが、17年にJ1で22得点を記録した一方で、昨季は5得点に終わった理由を、自分ではどう分析していますか?

 そこは自分自身の問題が一番大きかったと思っています。

――それは精神的な部分ということですか?

 いや、違いますね。ゴールを決められない時期が続いて、焦りを感じた時期も少しはありましたけれど、一番は動きの質に原因があった。昨季は僕自身もけがが多く、両足首を痛めてしまった。特に左足首は手術しなければならず、その影響で、なかなかコンディションが上がり切らなかったんです。アスリートにとっては、少し足首が痛い、少し関節が痛いというだけでも、プレーに影響が出てしまう。自分もこれを経験するまでは、『そんなことないやろ』って思っていたんですけれど、動き出すときの一歩やドリブルのスピードまで違ってくるんですよね。頭の中でイメージしている、けがをする前の自分の動きと、実際の動きが合致しないんです。ちょっとした差なのかもしれないですけれど、自分にとっては大きなその差を、最後まで埋めることができなかったところがありました。

――動きの質や引き出しというところにフォーカスすると、レッズには興梠慎三選手がいます。彼の動きはまた参考になるのでは?

 盗めるところは盗みたいと思っています。慎三くんは動き方であったり、動くタイミング、さらには動きの連続性に至るまで、自分には持っていないところがたくさんある。そこは一緒にプレーすることで学んでいきたい。慎三くんは、僕らストライカーから見ても、相手にとって嫌な動きをするので、2人で試合に出て、そうした動きができれば、相手にとってかなり脅威になるはずですよね。

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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