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杉本健勇はなぜ浦和レッズへ移籍したのか
背番号「14」は自分への挑戦
埼玉スタジアム2002での加入記者会見後、浦和レッズ加入の経緯や決意を聞いた
埼玉スタジアム2002での加入記者会見後、浦和レッズ加入の経緯や決意を聞いた【石田祥平】

 浦和レッズはJ1とAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の二冠を掲げて2019年をスタートさせた。異なる大会を勝ち抜き、目標を達成するには、新戦力の融合と奮起が必要不可欠となる。その中でも補強の目玉であり、期待を背負っているのが、セレッソ大阪から獲得したFW杉本健勇だろう。彼にとって新たなホームとなる埼玉スタジアム2002での会見を終えた直後に、加入の経緯、決意を聞いた。


 187センチを誇る長身は、間近で見ると、さらに大きく感じられる。会見では、それほど口数も多くなく、向かい合うと威圧感すらあったが、「実は緊張していたんです」と、笑った。そうやって、こちらを和ませると、これから幾度も使うことになるロッカールームにゆっくりと腰掛けた。そして、一つ一つ噛みしめるように言葉を選びながら、その思いを語ってくれた。

「国内ならレッズでプレーしたいと思っていた」

――ホームとなる埼玉スタジアムで行われた記者会見で、初めて浦和レッズのユニホームに袖を通した感想はどうですか?


 新加入選手の記者会見に臨む前に、クラブのほうから浦和レッズの歴史であり、歩み、さらにはクラブの理念について、説明してもらったんですけれど、そうした話を聞いて、改めて身が引き締まるというか、興奮していますね。レッズのユニホームを着てプレーするんだという実感が強く沸きましたし、早くここ(埼玉スタジアム)のピッチで試合がしたいなという思いが込み上げてきましたよね。


――少しさかのぼって話を聞かせてもらえればと思うのですが、レッズに移籍することを決めた経緯とはどのようなものだったのでしょうか?


 包み隠さずに話すとすれば、僕自身は正直、海外でプレーしたいという思いがあって、まずはそこを模索していたんです。だから、海外でプレーできる可能性を探っていたんですけれど、そこはやっぱり、なかなか難しくて。そうしたときに、レッズからオファーをもらったんです。当初は、国内のクラブに移籍するつもりはなかったんですけれど、もともとというか、前々から国内で移籍するならばレッズでプレーしたいという思いがありました。それで今回、こういうタイミングで話をもらえたので、移籍することに決めました。


――以前から浦和レッズでプレーしたいという思いを抱いていた理由とは?


 もともと、埼玉スタジアムの雰囲気が好きだったんです。埼玉スタジアムでタイトルを獲ったこともありますし、ここで得点を決めたこともある(※セレッソ大阪時代に、2017年のルヴァンカップ決勝で得点を記録して優勝)。自分としては相性も良く、好きなスタジアムだったんです。おまけにレッズのサポーターは日本一と言えるほど、応援が熱狂的。今まで自分たちのホームでレッズと対戦したときも、レッズのサポーターの声援がスタジアムに響き渡っていて、いつも『すげえなぁ』って思っていたんですよね。その日本で一番のクラブからオファーをもらえるという機会は、滅多にあることじゃない。だから、素直にうれしかったんです。

杉本の根底にあるのは「追い込む」マインド

「仲間もいて楽しいし、居心地もいい」と話すセレッソ大阪を離れた理由は、「自分を追い込まなければダメだなって思った」からと心境を明かしてくれた
「仲間もいて楽しいし、居心地もいい」と話すセレッソ大阪を離れた理由は、「自分を追い込まなければダメだなって思った」からと心境を明かしてくれた【石田祥平】

――レッズからオファーをもらって、加入を決断するまでには、いろいろな葛藤があったかと思います。


 レッズから話をもらって、すぐに返事をしたわけではなかったんですよね。返事をするまでに与えられた期間では、自分なりにいろいろなことを考えました。ただ、その間も、あまり周りの人には相談しなかったんですね。というのも、今回は自分ひとりで考えて決めたかったんです。この移籍に関しては、いろいろな意見があることも、自分なりに分かっているつもりです。だから、賛成してくれる人もいれば、反対する人がいることも分かっている。でも、自分ひとりで考えていく中で思ったのは、これは僕自身の人生だということ。だから、最後は自分が決めて、自分が信じた道を選んで、それで歩んでいこうと思ったんです。


 きっと、そうしなければ自分自身が一番後悔すると思うので。だから、決断に至るまでには、他人の声や周囲の意見は気にせんとこうと。実際、移籍を決めた後には、いろいろな意見が自分の耳にも届きました。その中には批判もありましたけれど、一方で自分のことを応援してくれる人がたくさんいることも分かった。だから、今はそういう人たちのためにもがんばらなって思っているんですよね。


――確かに自分自身の人生を背負っていくのは、自分自身でしかないですからね。


 そうなんですよね。ただ、レッズのサポーター、ファンは、日本一熱狂的ですし、僕がここに来たからといって、すぐに認めてもらえるわけじゃないということも分かっています。ここで結果を残さなければ、示さなければ、認めてもらえないと思うので、そこは自分自身でも強く自覚しています。ピッチで証明するしかないなって。

「ここで結果を残さなければ、示さなければ、サポーターに認めてもらない」と、強い決意を持っての移籍だった
「ここで結果を残さなければ、示さなければ、サポーターに認めてもらない」と、強い決意を持っての移籍だった【石田祥平】

――レッズへの移籍を決断した背景には、環境を変えたいという思いもあったのでしょうか?


 いや、僕自身は環境を変えたいからというのが理由ではなかったんですよね。確かにそういう見方をする人もいるかもしれませんけれど、僕自身は、環境を変えたから、頑張れる、頑張れないというのは関係ないと思っています。もちろん、実際に移籍をすれば環境は変わるし、自分自身も環境を変えれば、うまくなれる、成長できると考えた時期もありました。でも、考れば考えるほど、それは言い訳でしかないなって思ったんですよね。敵はまず自分自身。自分の考え方や意識次第で、どうにでもなる。もちろん、僕はセレッソ大阪の育成組織で育ちましたし、セレッソにいれば知っている仲間もたくさんいて楽しいし、居心地もいい。一方、レッズはビッグクラブなので、ポジション争いも激しいし、厳しくなりますよね。ただ、だからといって環境を変えるというのを理由にはしたくない。


――どこにいても自分次第だと?


 確かに(15年に)川崎フロンターレに移籍した1年間で、ものすごく多くのことを学びました。その経験があったから、セレッソへと戻った16年、17年は結果を残せたところもあったと思っています。一方、昨シーズンは全然ダメで、結果を残すことができなかった。いろいろと自分自身についても考える時間が多く、そうした中で行き着いたのは、結局は自分次第ということでした。もっと、自分を追い込まなければダメだなって思ったんですよ。僕はこうしたインタビューで、でかいことを言ってしまうときがあるんですけれど、それも含めて自分で自分を追い込んでいるところもあるんですよね。言葉に発して、できなければ、いろいろと言われてしまう可能性もありますけれど、それも含めて自分の責任ですから(苦笑)。

原田大輔

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。サッカーを専門にした編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ書籍・雑誌の編集・執筆を行うほか、Jリーグの取材も精力的に行っている。『ブラジルワールドカップ観戦ガイド完全版』(TAC出版)を監修。『FOOTBALL DAYS』(ぴあ)の編集にも携わった。

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