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天才を作る親たちのルール

「普通であり続ける」ことこそが大切
桐生祥秀の育て方

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2020年東京五輪、新国立競技場で躍動できるか。日本最速スプリンター桐生祥秀への期待は大きい
2020年東京五輪、新国立競技場で躍動できるか。日本最速スプリンター桐生祥秀への期待は大きい【Getty Images】

 2017年、日本人選手で初めて「10秒の壁」を破った桐生祥秀。


 2020年東京五輪では、仲間とともに4×100メートルリレーで、また、個人でも100メートルファイナリストとして、新国立競技場のフィールドで躍動するはずだ。


 そんな「日本屈指のスプリンター」はいったいどのようにして育ったのか。


 サッカーでも彦根市選抜に選ばれるほど頭角を現していた祥秀に、中学の部活で陸上部を勧めたのは、父・康夫だった。そして、陸上選手としての成長過程におけるターニングポイントが、中学3年の時に訪れる。


 すでに短距離選手としての才能を発揮し始めていた祥秀に、一体何が起こったのか――。

個人記録よりリレーを選んだ息子が誇らしい

 父と母は、成長の過程で訪れる心の変化を細やかな目で軌道修正し続けてきたが、中学生になると接する人々も増え、親の目や手が及ばないことが多々起きる。康夫が続ける。


「中学3年夏の全日本中学校選手権の100メートルを欠場して、彼はランキング2位に落ちたんです。1位のままだったら天狗になってしまい、親の言うことに耳を貸さなくなっていたかも知れない」


 祥秀は腰痛が癒えると、持ち前の実力を発揮し、3年の春には100メートルで全国中学ランキング1位となっていた。この頃になると、メディアにも取り上げられ周りもちやほやし出す。


 夏の全日本中学校選手権でも自信が漲(みなぎ)っていた。ところが100メートルの前に行われた400メートルリレー準決勝の走行中に足の肉離れを起こしてしまう。だが、棄権するとリレーで学校の記録が残らなくなるため、痛みを堪(こら)え必死に疾走した。続く決勝も走り切る。

吉井妙子

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