天才を作る親たちのルール
水泳をしながらも、立派な社会人に
萩野公介の育て方

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水泳選手として大成するよりも大切なこと。両親はいつも息子と真摯に向き合い、伝えてきた
水泳選手として大成するよりも大切なこと。両親はいつも息子と真摯に向き合い、伝えてきた【Getty Images】

 日本競泳界のエース、萩野公介にとって、最初のオリンピックは2012年ロンドン大会だった。プレッシャーをものともせず、日本人スイマーが最も苦手としている個人メドレーで、堂々の銅メダル。


 時代の寵児としてメディアが大きく取り上げる中での帰国後、萩野の両親は、息子のささいな変化に気づいた。


「オリンピックって、大きな力が働くんです」


 萩野公介の父・洋一の言葉である。


 その変化を、両親はどう受け止め、どう息子と対峙したか。その両親の思いを、息子はどう受け止めたのか。公介が水泳選手として大成すること以上に、どんな大人になってほしいと思っていたのか。


 そこには、子供の将来を何よりも大切に考えるという、当たり前の親の姿勢が貫かれていた――。

スランプの時期に父と母ができること

 幼少期から才能を発揮した公介は、練習相手は常に3、4学年上のお兄さんたちだった。小学生の時は中学生、中学生になると競争相手は高校生。常にグループで一番年下という環境が、技術はもちろんのこと心も磨いた。目上の人に対する敬意、人との接し方、言葉遣い、話の内容も高度で常に勉強を強いられる。何より、兄弟がいない公介にとって、年上の水泳仲間たちと接している時間が、この上なく楽しかった。前田も、コーチというよりもお兄さん的な存在でいたかったと話す。


「公介が、芸人のタカアンドトシやAKB48が好きだったので、僕も彼らが出演するテレビは欠かさず見ていました。練習は厳しいメニューを与えましたが、プールから上がればギャグの応酬。スイミングクラブを彼の楽しい場所にしておきたかった」


 小学、中学、高校と常にトップをひた走ってきたが、それでも苦しい時はあった。中学2年生の時に膝を壊し入院。試合に復帰するまで2カ月を要した。高校時代には体調を崩し、同学年のライバル瀬戸大也や山口観弘に先を越され、落ち込んだ時もあった。だが、一度も後ろを振り向かなかったのは、両親の存在があったからではないかと、前田は考えている。

吉井妙子

スポナビDo

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