「怪物DF」関川郁万の原点は反骨心 悔しさを乗り越え、鹿島で新たな挑戦へ

平野貴也

「怪物ヘッド」で先制ゴールを決めるも…

2年連続で決勝の舞台に挑んだが、惜しくも頂点には届かなかった 【Noriko NAGANO】

「怪物ヘッド」で先制点を奪ったが、またも日本一には届かなかった。流通経済大柏高校(千葉)のDF関川郁万(3年)は「自分が点を決めても、勝たなければ意味がない。責任を感じている。最後までチームを勝たせる選手になれなかった」と悔しがった。今大会3得点目となるゴールを決勝戦で決めて、2大会連続の準優勝。立派だが、負けず嫌いの背番号5が喜べる成績ではない。第97回全国高校サッカー選手権大会の決勝戦、青森山田(青森)に1−3と逆転で敗れ、目標の日本一に届かなかったというのが、彼にとっての現実だ。

 先制点は見事だった。前半32分、右CKに中央からまっすぐ飛び込むと、ジャンプ力を生かした高い打点から強烈なヘディングシュート。相手GKを弾いたボールがゴールへ飛び込んだ。しかし、その8分後に最終ラインのコントロールが乱れてカウンターから失点。後半にはサイド攻撃から逆転ゴールを奪われた。終盤、関川は前線に上がり、パワープレーのターゲットとなったが、逆にダメ押しの3点目を奪われて勝負は決した。

 関川は「最後まで食らいついたけれど、(選手権のタイトルを)取れなかったというのが、オレの高校サッカーなんじゃないかなと思います」と3年間を振り返った。良いときも、悪いときもあった。1年次から先発で起用され、空中戦の強さという目立つ武器で名を売って世代別代表入り。2年次のインターハイでは得点王争いを展開し、チームも優勝を果たした。しかし、昨年の選手権が終わった直後に右ヒザの半月板の手術を行うと、復帰直後のインターハイ県予選で敗退。自身のミスも絡んで失点し、全国行きを逃した。チームをけん引できず、仲間から「お前のせいで負けた」と批判も受けた。

 夏に任を解かれたが、主将としてチームをまとめる難しさを痛感したシーズンでもあった。3年になって間もない5月に鹿島アントラーズ内定が発表されたため、順風満帆のイメージがあるかもしれないが、最後に帳尻合わせをすることもできず、悔しさを抱えてプロの世界へ進むことになった。

「強いやつに勝ちたい」気持ちが成長を促進

中学時代の関川は、「下手だったけど負けず嫌いな子」だったという 【写真:平野貴也】

 だが、もともと反骨心と人への挑戦で成り上がってきただけに、プロの世界に入るスタートとしては、悪くないのかもしれない。

 決勝戦の前日、関川が中学時代に所属していたFC多摩ジュニアユースの平林清志監督に話を聞くと「郁万は、下手だけど勝ち気で負けず嫌いな子でした。最初は虚勢を張ってしまうようなところも多かったけれど、ヘディングののみ込みは一番早かった。自信を持ち始めたのは、中学2年生の頃だと思います。学年を上げてやらせてもいい素材だったけれど、ヘディングとフィードという武器を磨きながら(失敗より成功を経験できる自分の学年で)、短いパスをつなぐ練習をやった方が良いと思いました」と頭角を現した頃の話を教えてくれた。

 当時は、同じポジションの望月駿介(桐光学園)がより高く評価され、1学年上のメンバーに入って全国大会に出場。関川は、望月に勝ちたい一心で武器を磨いた。強いやつに、勝ちたい。それが、関川の歩みのすべてかもしれない。決勝戦の前日も、関川は「セットプレーでは(青森山田の長身DFでアビスパ福岡に内定の)三國ケネディエブスから点を取りたい。同じセンターバック(CB)で、今季は自分が呼ばれていない代表に呼ばれている。ケネディが来てくれたら、気持ちはより一層高ぶる。ヘディングはオレが一番と思ってやっている。空中戦で負け知らずと言われたい」と相手のキーマンとの対決を望んでいた。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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