連載:モーリーが深堀り! 2020年とその後の日本
お互いの個性をどう補い合うか 文化・教育委員会 今村久美さんに聞く(後編)
認定NPO法人「カタリバ」の今村代表(右)とモーリー・ロバートソンさんとの対談。日本の“共生”について話を続ける 【写真:築田純】
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会では、「アクション&レガシープラン」として、オリンピック・パラリンピックを東京で行われる国際的なスポーツ大会としてだけでなく、2020年以降も日本や世界全体へ様々な分野でポジティブな“レガシー(遺産)”を残す大会として“アクション(活動)”していく計画を立てている。
タレント・ジャーナリストのモーリー・ロバートソンさんが、「アクション&レガシープラン」のキーパーソンに直撃レポートする今回の企画。第3回のアクション&レガシープラン「文化・教育」委員会の認定NPO法人「カタリバ」代表理事の今村久美さんとの対談の後編。日本の教育現場の未来について、より深く切り込んでいく。
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日本の“同調圧力”の始まり
固定観念に凝り固まった一律の教育が、日本の“同調圧力”の雰囲気を生み出している 【写真:築田純】
モーリー・ロバートソン(以下、モーリー) 先日、関西のあるバラエティ番組に出演したのですが、みんなリアクションが早くて、声も大きいし圧倒されました。テレビ番組を作る人たちにも、ゆっくり考えてから発言するようにしてと言いたいですね(笑)。
今村久美(以下、今村) それはテレビですから、番組は面白い方が良いですよね(笑)。
モーリー それこそテレビ業界ですと、あいさつがしっかりしている人が上手くいっている感じがします。将来の世代では声を出さなくてもいいんだと思いますけど、今の世代は、あいさつをハッキリ言える人が好かれますよね。
今村 声はもちろん出した方がいいと思いますし、ハッキリあいさつをした方が良いと思います。ただ、学校では45分の授業の中で、クラスの全員が一律の学びを求められているのが現状です。ですが、その45分の中でゆっくり勉強する子がいたり、一気に学習する子がいたり、手を挙げられる子、挙げられない子がいる中で、一律に挙げる方が良いということが、日本の“同調圧力”の感じがあると思っています。あの雰囲気作りが“同調圧力”のスタートではないかなと。もちろん最終的に、元気にハキハキ話す大人になれればとは思います。
モーリー 手を挙げるのが早いというのはテクニックですからね。問題なのは、日本の教育そのものが、“答えのある問題”しか問われないという部分もあると思います。ですから最短距離で解くことが技となって、その応用問題を解ける人が優遇される仕組みになっています。答えのない問題が出題されるということがないんです。
私は東京大学とハーバード大学に合格したということで、当時「天才」と話題になったのですが、ハーバードの1学期目に答えのない問題の“ブートキャンプ”があるんです。本当に脳内の軍事訓練のようなものでした(笑)。
要は、答えのない問題について深く議論させられるのです。例えば、シングルマザーに対して社会福祉を厚くするべきかどうか。これは感情的な問題にもなりますよね。最初は肯定派で考えさせて、後半からは反対派として考えたりします。そうすると、最初は肯定だったのに、反対を擁護するようになると、それが案外、強い意見になったりするのです。自分の議論の弱点を知っているので、その部分を指摘できることもあります。そのような形で思考のトレーニングをしていくと、結局、自分から進んで意見を出すことはできなくなってくるんです。手を挙げた人が大体、意見を論破されてしまうので。
一方で今の日本の学校では、答えのある問題を出して全員に「百人一首大会」みたいなことをやらせていますよね。例えば、“弱者救済”をテーマにするなら、「弱者は怠けているから」「心がけが悪いからだ」と前提で持っているものを出しがちです。シングルマザーにしても、「家庭をちゃんと営まなかったからだ」とか「自分のことばかり考えていたからだ」とか。そうすると、その弱者救済を税金でやること自体が、そういう理由でおかしいという話になり、最終的には「強者の道徳」になりがちです。それに対してインクルージョン(包摂)という考えで当てはめると、実は弱者とされている人たちは、ものすごいいろいろなものを持っていて、チャンスを与えれば社会に貢献する発芽があります。実はオリンピック・スピリットというのはそういうところにあったりします。
“スーパーパワー”を持つパラリンピアン
米国のパラリンピアンであるエイミー・マリンズは、義足を個性としていた 【Getty Images】
「弱い存在だから助ける」という一律の固定観念、障がい者に対する固定観念になると思いますが、そうではなくて、お互いの個性をどう補い合うかというところが、本当の意味での包摂かと思います。
モーリー エイミー・マリンズという米国の義足ランナーがいたのですが、その方は『テッドトーク』などでも有名になった美人なパラリンピアンです。彼女はマシュー・バーニーというアーティストとコラボして、セクシーな写真集を出したりしているのですが、体を鍛えているのですごくキレイなんです。それに義足をアート作品としてたくさんそろえたりしていて、その結果、健常者よりも走るのは速いですし、背も高くできる。モデルとしても、すごく背が高いモデルにも変ぼうできるので、逆に身内からは「ずるい」と言われるほどだそうです。それは、自分だけが持てる方法を生かしているということです。
その彼女が子どもたちに義足を見せてあげる機会を与えていました。子どもとしては「義足を触りたい」とか、たくさんのコレクションを持っているので「屋根の高さまで飛べるようになりますか?」とか、まるでスーパーパワーの持ち主だと思われたそうです。子どもというのは先入観がないので、そのような「かっこいいもの」に出会った時の感覚で捉えられるので、そういう経験をしておくと、その後の生きる道の広がり方が違うものかと思います。
――実際、オリンピック・パラリンピック教育の現場において、子どもたちの反応というのはどうなのでしょうか?
今村 もちろん、まだリアリティを持っている子ばかりではないと思います。一律にささるわけではなく、面白いと思う人と面白くないと思う人がいてもいいと思います。ただ機会が増えていることは事実だと思うので、面白いと思った子が1人でも増えればいいなと思います。